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密会/安部公房

密会 (新潮文庫)Amazon: 密会 (新潮文庫)

修士の発表会も終わって晴れ晴れしたので本を購入した。

安部公房という作家

安部公房という作家は、わたしにとって一種の象徴のようなものであって。文壇でどのように評価されているかまでは、知らないのだけども、わたしを惹きつけて止まない作家の一人では、ある。人間の真実を描き出すという点で、この作家はすごい。

彼の筆致から見えてくるものは、一見して人間の皮膚の下、もしくは人格という仮面の下に隠された酷く直接的な欲求の数々である。そしてそれから逃れられない人間が如何に苦しむか如何に悩むか、その経過の赤裸々な報告であり、人間の悲劇そのものである。非常に読み手を選ぶ作家であるということは間違いない。

彼の作中で描かれている人物は常に圧倒的な現実に晒される。「何故か?」という問いかけは通用せず、とにもかくにも圧倒的な現実は現実としてそこに存在するわけで、理不尽だろうが有り得なかろうが適応するしかない。一種のシュールレアリズム。現実が認識を超越していても、人はただ認識するしかないのだ。そんな作品群が私を魅了して止まないのだ。

『密会』その魅力

彼の代表作『カンガルー・ノート』では主人公の男の膝にカイワレ大根が生えたところから物語が始まる。また『砂の女』では突然主人公の男が砂漠に軟禁される。そしてこの『密会』においては、始まりは腑に落ちない妻の入院である。ある朝突然、救急車がやってきて、健康体の妻を連れ去ってしまった。夫である主人公の男は心配して彼女を捜しに病院に乗り込むのだが、どこにも彼女はいないのである。消えてしまった。

その後、物語は急展開だ。『僕』は『僕』を観察する。『僕』は『僕』に観察される。妻の行方の鍵を握っているのは『馬』ではない『馬人間』。『馬』は意味深に『僕』に語りかけ、指令を与える。『僕』自身を観察するようにと。『馬』はその記録を欲しがる。一冊目、二冊目……と。いつしか『僕』は『馬』の指令なしにノートを書きはじめるようになる。『僕』はひたすらに『僕』とそれを取り巻く環境を克明に記録するようになる。何のために?

ストーリーが進むにつれて、この入り組んだ構造はわたしを不安に陥れる。いったい『僕』は時系列でどこに存在しているのか、『僕』に対してどの位置に存在しているのか。そしてこの病院という環境の中で、『医師』でも『患者』でもない『僕』はどういう存在なのか。妻を救い出す物語を期待すれば、それは見事に裏切られる。目の前にあるものは圧倒的な無限地獄で、主体にも客体にもなりきれない『僕』は永遠に苦しむのである。それは絶望という名の圧倒的な現実であり、それを見続けること自体も絶望である。

このような複雑怪奇で難解なストーリーを意図的に書き上げる彼の脳髄の構造が知りたい。

難解な無限の構造に加え、欲求の呪縛に縛られる人間の仮面の内側が官能的に露悪的に描かれている。くだらないごまかしは一切なしの、非常にストレートな欲求の表現である。彼の作品の中で、人は動物として生々しく生きているのだ。 それは私が彼の作品に惹かれる原点のようなものでもある。

久々に、小説を読んでめまいを覚えた。この異様な高揚感はなんなのだろう。

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