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四季シリーズ〜春, 夏, 秋, 冬

  • 2007-02-14 (水)
  • Category: 書籍
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森博嗣「四季」愛蔵版BOXセット (講談社文庫)Amazon: 森博嗣「四季」愛蔵版BOXセット (講談社文庫)

これだけは絶対に買うまい、読むまいと心に決めていたのに、
買ってしまいました!

文庫版、四季シリーズ!! しかも春から冬まで全部だぜ。

あほですか、この人は。
うん、あほだと思う (激しく自問自答)
リノリウムの床に、頭を100回くらい打ち付けたい気分。
(ちなみに100回くらいじゃ人は死なんよ)

で、なんでこれだけは買うまいと思ってたかというと、変な風に取り込んでしまって頭の痛い事態になるからだ。はっきり言って笑えない事態だ。取り込みなんて作業、きっちり噛み砕いて消化して、とにかく時間をかけて処理しないと行動も認知も何もかもおかしくなる。結果いろいろとちぐはぐになる。自分のものになっていない『借り物』って、それくらいに脆いのだ。

ああ、脱線。元に戻ろう。さっき↑の話はまた今度ね。
と、とにかくですね、買うまい、読むまいと思っていたのに、結局読了してしまいました。

四季の孤独

S& MとVをリンクさせているのは分かった。百年シリーズもリンクしているのかしらね …1 。実は、作品間のリンク以外の部分に関しては、よく分からなかったのよ、ごめん。これじゃ私、森ファンは名乗れないわ。

四季はどこにいるのか、四季は誰なのか、四季は何者なのか、私には結局分からなかったよ。この作品 (S&M, Vも通してだから、作品群か) における四季の存在って何?圧倒的な存在?しかし彼女はただの少女で、ただの女性で、ただの母親。愚かなほどに、笑ってしまうほどに母親なのね。

それはS&Mで描かれていたのとは真逆の姿。秋、冬と読み進むにつれて退屈を憶えた。夏までに描かれていた四季の鋭さが、なりを潜めてしまったから。人間は歳を取るにつれて、矛盾を受け入れ、単純で愚かになる。四季は自分でそう表現したが、彼女自身もそうだった。

それでいて、他の登場人物にとっては、彼女はやっぱり圧倒的な存在のまま。存在というよりも、もはや象徴と言ってもいいかもしれない。確かにそこに存在しているのに、誰かの中でないと認識されない、象徴としての四季。

象徴としての彼女は酷く悲しい存在に見える。誰か『真実の』彼女を見た? 誰も『真実の』四季を見ていないような気がするのね。矛盾も愚かさも内包した彼女を。世の中で最も恐ろしい感情は、『好き』でもなく、『嫌い』でもなく、『無関心』。だから彼女は酷く悲しく見える。

けど真実なんて観測不可能だわ。きっと彼女自身にも。

そして、結論は、分からない

読んでいて、ふと聖書の一節を思いだした。新約聖書の最後 『ヨハネの黙示録』 の序文。

わたしはアルファであり、オメガである

アルファは最初、オメガは最後。線分の上では両極にあたり、相反する存在。しかし円、若しくは球体上では同一の存在。かつ、同時にどこにも存在しない存在とも言える。

存在っていうのはそれくらい曖昧なもので、認識のされ方で、どうにでも変われる。誰から見るか、どこから見るか、どの位置にあるとするか。観測条件が揺らぐだけでどうにでも変わってしまう。

しかも彼女は、時間が経過するごとにくるくると変わる。他の登場人物の中にいる彼女も、くるくると変わる。小説の視点も、くるくると変わる。だから私は、彼女が結局何者なのか、分からないまま。けど、分からないままで、いいような気がする。

森作品は危険だと再認識した数日間

そう言えば、『春』の冒頭に書いてあった。

空間、そして時間。
それらのいずれとも、彼女は乖離していた。

『春』の冒頭を見たときに、森先生、あなたはやっぱり確信犯2 だったのですね、と思った。数年来のもやもやが解けたようで、( ̄ー ̄)ニヤリとしたのも事実だけど。

何年か前、とある人と、心理学用語としての『乖離』について、メールで話したことがあった3 のね。そのとき私は彼女に『すべてがFになる』という小説が怖いと言った。確か、理由は『今、ここにある意識』『今、ここにいる身体』の感覚が希薄になる、もしくは揺らぐという体験を感覚レベルですることになるからだと言ったような気がする。

同時にこの人の小説は危険だとも言った。この感覚が癖になるのは、この感覚が伝染していくのは、やばい。概念って言うやつは、言葉によって伝染するし、言語化された概念ってやつは人の意識の上で展開され、疑似体験される。私は春夏秋冬の四季を通じて、またしても現実という感覚が揺らぐという体験をした。

主体は、誰。
見ているものは、何。
立っている場所は、何処。
この小説はそれら全てをかき混ぜてしまう。
だから危ういんだ。
その感覚が恒常的になるのは、危ういんだ。

今、ここにある、抜け出せない生

人は『今、ここ』で生きているのに、この小説はそれを揺るがす。シナプスの発火が見せている幻だと言い切る。それが幻なら、現実というものは酷く刹那的で酷く虚しい。

私は、意識というものがどこにあって、誰のもので、そもそも何なのかいまだに分からない。分からないけど、あがいてもあがいても、身体からも意識からも抜け出せない。ほんの一瞬、向こう側の自分を見るかもしれないけど、結局、理不尽や矛盾を抱えた自分自身からは抜け出せやしない。

矛盾している心が綺麗だと言った四季は、諦めたのだろうか。
やっと『死に至る生』を受け入れたのだろうか。
一番死に憧れていたのが彼女で、
一番死を怖れていたのも彼女のような気がする。

…関係ないけど、たったこれだけ書くのにえらく消耗しました (笑)

Footnotes

行頭の数字は本文中の注釈番号に対応さしてます。

  1. ちうか、森作品って読んだ限り全部リンクしてるよねぇ…。そこがマニア心をくすぐってしまうわけだが、分からないと悔しいよねぇ Back
  2. この文脈で『確信犯』は完全に誤用。『故意犯』が正確です。参照: 確信犯 – Wikipedia Back
  3. メールの原文、転送して頂きました。お礼が遅れたけど、どうもありがとう。メールの原文がもう手元にないので、なんて書いたのか正確には思い出せない。できれば原文、転送して下さい>とある人。 Back

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