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ドグラ・マグラ (3)

  • 2007-04-07 (土)
  • Category: 書籍
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読んだ人、興味のある人にしかおもしろくない、ドグラ・マグラ感想文、第3回にございますよ。

呉青秀を一通り語ったところで、現代 (小説の中での現代) に戻りましょう。

心理遺伝を読み解く

この小説のからくりを紐解くための大きな要素が、心理遺伝という言葉なのだけど、そもそも心理遺伝とは何なのか。正木博士によれば、前世や先祖の記憶が、現在の人間の上に、なんらかのきっかけでもって再生されたものである、と。その仮説によって、狂人の解放治療場にいる患者の病態が説明される。

最も分かりやすい例として、何度も描かれたのが、先祖の百姓返りしてしまったじいさんであろう。彼は元々、百姓ではないのに、朝から昼のドンの音まで、ひたすらに鍬をふるう。彼の中にある、鍬を振るうという行動様式は、彼の先祖の記憶である。

… という話なのだが、果たして心理遺伝なる事象は、実際に起こりうるのか?このへんには疑問を感じる。物質である遺伝子は、非物質である記憶を、記録できるのだろうか?現代の科学では、遺伝情報は、全て遺伝子に書き込まれている (とされている)。それはタンパク質やら器官の設計図として説明される。遺伝子の乗り物であるDNAには、設計図としては働いていない無駄な部分が多いことも分かっている。この部分の働きは、現代の科学をもってしても、今のところ謎である。

ではここに心理遺伝の情報が書き込まれているのか?という話になるが、答えは否、であろう。

心理遺伝=暗示の作用?

なので、私は正木博士の言う「心理遺伝」は、共通認識の持つ暗示の作用であるように思う。作中作の「精神科学応用の犯罪とその証拠」の中には、狐を使う、真言の呪法にかける、生霊、死霊を憑ける、神罰を当てる等、人間によって意図的に不可思議な現象が引き起こされてきたということが書かれている。

ところで、これが共通認識の持つ暗示の作用であると考えたのは、呪いについて、ネット上で興味深い仮説を読んだことがあるからだ。残念ながら出典は失念してしまったが。呪いは、共通認識が悪意として作用した結果である。人が今よりずっと迷信深かった頃、人は姿の見えないものを怖れた。村には伝承や禁忌が今よりも多く、根深く、共通認識として横たわっていた。呪いというものもその一種である。

分かりやすい例では、お百度参りや藁人形の効果が挙げられる。藁人形を打ち付けられた人間には、不幸が訪れる。迷信深い人たちはそう信じていた。例えば、神社の森の中で、藁人形を打ち付けた人がいるとしよう。藁人形はいつか発見され、迷信深い人々の間で噂になる。打ち付けられた人間は誰か、という推測が飛び交う。それにより、思い当たることのある人には大きな精神的負担がかかるわけだ (だって彼も呪いの効果を信じている一人だから)。結果、彼は体調を崩したり、酷いときには発狂に追いつめられるというわけだ。つまり彼は、藁人形自体に不幸にされたのではなく、藁人形を怖れる共通認識に不幸にされた、ということ。村全体にかけられるような呪いも、この作用で説明することが可能だ。

これは、今よりももっと迷信深い時代の話においての話であるが、現代においても言霊信仰は生きている。ポジティブな思いは人を幸せにし、ネガティブな思いは人を不幸にする。これはある種の洗脳である。幸せな人間は、ポジティブな思いを抱き続けることでさらに幸せになるし、不幸な人間は、ネガティブな思いを抱き続けることでさらに不幸に落ちていく。もちろん、これだけで幸不幸を説明できるわけではない。しかし我々は経験則としてそれを知っている。

呉一郎は何に洗脳されたのか?

悪い意味がかなり含まれるので、洗脳1 という言葉に変えた。

呉家には恐ろしい言い伝えがあった。それは、呉青秀の描いた、妻が朽ちていく過程を描いた絵巻物の存在であり、それを見た呉家の男子は皆、発狂してしまったという出来事の事である。実際に呉家の男子が何人も発狂に追い込まれたか否かよりも、そういう言い伝えが存在することの方が重要である。また、この言い伝えは、呉家の周辺の人間たちの間にも、共通認識として存在しただろう。如月寺縁起の中で語られていた通りに。

この言い伝えがあったからこそ、母は保管されていた巻物に興味を示したし、それを息子にはひた隠しにしようとした。そしてその振る舞いは、息子に対し、一種の洗脳として作用した。また、その言い伝えは、正木博士と若林博士の興味を惹き、恐るべき実験の案を、正木博士の中に生むことになる。

仕掛け人である正木博士もまた、被害者であると言えよう。聡明であるはずの彼が、およそ人道的ではない恐るべき実験に走ってしまったのは、「胎児の夢」と「脳髄論」によって彼自身が語る、唯物論的な面を脱却した精神科学への執着が原因であろう。彼が、精神科学に執着しすぎて身を滅ぼしたというのは、全く持って皮肉な話だ。

さて、話を問題の殺人事件に戻そう。ここで、洗脳説では少々よく分からない部分が出てくる。第一の殺人 (母殺し) は、果たして誰の手によって行われたのであろう。正木博士の独白の中からは、正木博士が犯人であるかのように思われるが、どことなく釈然としない部分もある。

しかしいずれにしろ、第一の殺人が行われ、呉一郎がそのとき夢中遊行状態にあったという結論が導かれたことをもって、下準備は完了することになる。したがって、後はトリガーを引くだけである。件の絵巻物は、洗脳のための強烈なシンボルであり、同時に洗脳が完了した後はトリガーとなる。

そして、海岸で絵巻物をじっと見てしまった呉一郎は、夢中遊行状態に陥り、呉青秀と同じようにモヨ子を絞殺、呉青秀が描けなかった最後の一枚を描くために、じっとモヨ子を観察するのである。

さて、今まで洗脳説を散々語ってきたが、実はこの洗脳説には大きな穴が存在している。洗脳説では、彼が夢中遊行状態に陥り、発狂するところまでは説明できるのだが、呉青秀と同じように絵筆を取り、モヨ子の死体を描くという行動が説明できない。ゆえに洗脳説は、非常に不完全な仮説であると言えよう。心理遺伝を採用すべき厳然たる証拠が私の中にない故に、とりあえず洗脳説は棄却しないでおこうと思う (これはおよそ科学的ではない、自分の思いこみに執着している故の行動である)。

まだまだつづく。

Footnotes

行頭の数字は本文中の注釈番号に対応さしてます。

  1. 暗示と洗脳では言葉の意味がかなり違うが、結果、不可解な行動を繰り返しているということを考えると、暗示より洗脳の方が語法としてしっくりくるように思う。暗示は、強いものも弱いものもあるし、また方向性も内容によって変わってくるので、しっくりこなかったので。 Back

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