『ドグラ・マグラ』感想文はまだまだ続くよ。
何か内容が重くなりすぎているので、ちょいとライトな方向に持っていこう (…そもそもこの小説をライトに語ることが無理なんだけどさ)。『ドグラ・マグラ』の中には、当時最先端の科学のエッセンスや、オカルト現象に対する独自の見方が表れているので、そのへんをちょこっと触ってみる。
時間の長さの非同一性
最初の方に、時間の流れ方について触れた台詞がみられる。これは、のちのち重要な伏線になってくる概念だ。
… 又、時間というものについても同様の事がいえる。…中央気象台や、吾々の持っている時計の針や、地球、太陽の自転、公転なぞによって示されて行く時間というものは真実の時間ではない。唯物科学が勝手に製作し出した人工の時間である。錯覚の時間、インチキの時間である。…真実の時間というものは、そんな窮屈な、寸法で計られるような固苦しいものではない。モットモット変通自在な、玄怪不可思議なものである……
白昼夢を見ているとき、何かに没頭しているときには、時間の流れ方が変化する。経験的に、夢中になっているときは時間の経つのは異常に早い。一方で、退屈しているときは時間の流れ方が異常に遅い。
SF的には、時間の経過について、引き合いに出されるのはいつも特殊相対性理論だが、この作品においてもそうなのだろうか。科学においても、時間はどこでも同じ長さではないと分かっているというのが何とも面白い。
唯物科学批判、脳髄批判
正木博士は、作中で、唯物科学的な観点に批判的な姿勢を取っている。当時、いやもっと古い時代、脳が身体の中枢として機能していることが分かっていた。しかし、正木博士は「胎児の夢」「脳髄論」にて、「脳髄探偵」アンポンタン・ポカン氏はその演説の中で、意識が脳の作用だけによるものであるという立場を批判する。彼らの主張は非常に痛快であり、作者の思想が垣間見えるようだ。彼らは、想像力を駆使して意識の実態、人間の実態を描き出そうとする。これが適度な知的好奇心をくすぐる。
斯様に偉大な内容を持つ細胞の大集団が、脳髄の仲介によって、その霊能を唯一つ、即ち各細胞共通共同の意識化に統一した物が人間である。
昭和10年のその時代から、21世紀の我々に、見事な挑戦状が叩きつけられている。科学による回答は、まだ示されていない。
もっとも確実な治療
精神医学が発展する前には、そもそも精神病という概念が存在しなかったようだ。そういえば、大昔には、狐憑きや憑依という概念がごくごく当たり前に信じられていたようだし、それを思わせるエピソードが小説中にある。正木博士の資料倉庫で、主人公は、中世のフランス (?) で火刑に処せられた女性の絵 (狂人焚殺の絵) を見つける。中世の魔女狩りである。中世のフランスでは、魔女や悪魔に魂を売ったとして火刑にしたようである。
若林博士は、これについて言う「死を以て治療する」と。
今の時代であれば、投薬で幻覚や妄想は抑えられるし、患者の人権も守られているから、中世のそのやり方はあまりに乱暴に過ぎるし、ありえない選択であると普通に考える。今の時代では、病院で適切な治療を受けることが最善であると言えるだろう。しかし、この小説が書かれた当時の患者の処遇は悲惨なものだったようだし、閉じこめられて看護人に乱暴に扱われ、人間としての尊厳も何も守れない。さらに、そして治る可能性もほとんどない状況を鑑みると、「死がもっとも確実な治療だ」という極論は、あながち間違いとも思えないのだ。
その先、半永久的に人ではないものとして扱われ、生き続けるか、人間の尊厳を守りつつ、その瞬間死ぬか。いったいどちらが幸せなのだろう。私はもともと、長生きしたいとは思っていない人間であり、その後、醜態を晒すくらいであれば、その時潔く死ぬことを選択したい。もちろん、命は尊いものであるし、今後、健康であり、耐え難い苦痛がなく、他人の手を煩わせなくても生きていける状態であり続けるうちは、積極的に死を選びたいとは思わない。しかし、残される家族からしてみれば、潔く死を選ぶというのも、どうなのだろうという感じである。考えても考えても、まったく答えが出てこない。
怪談のカラクリ
怪談や心霊現象のメカニズムとして、ひとつの仮説が示されている。
例として、ろくろ首の怪談があげられている。これは人間が、夢や夢中遊行の心理を全然覚えていないが、身体に生じている異常 (頭痛や口臭) や、行灯の油が減っているという事実と想像を結びつける際に、生まれるズレを埋め合わせるために創造された疑念である。こういう怪奇現象は、事実と認識の隙間に落ち込んだときに産まれるようだ。
こういう考え方、京極堂シリーズでも出ていたこともあり、おお!と思った。
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