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ドグラ・マグラ (5)

  • 2007-04-11 (水)
  • Category: 書籍
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長きに渡ったドグラ・マグラ感想文、第5回をもって終了と致します。

これまでは物語の細かい部分ばかり見ていたけど、全体を眺めたときにどうなのか?という視点で語ってみる。

卵が先か、鶏が先か

呉家と正木博士、若林博士の因縁物語では、登場する2人の博士はともにイニシアルで示されている (以下めんどうなので敬称略)。ここまで小説を素直に読んできた人間は、M = 正木、W = 若林だと素直に読むだろう。しかし、事件の犯人としての正木と若林の立場が、主人公の認識によっていくらでも交換可能なように、この語りの中でも2人の立場は交換可能であり、主人公は M も W も正木博士であると一度は結論を出している。奇しくも、M をひっくり返すと W になる (いや、激しくどうでもいいかもしれんけど)。

この小説は、登場人物の語りにより登場人物が描写されるという構造を持っている。このような構造の小説では、彼らは彼らの都合のよいように事実を解釈し、我々に伝える。

人は見たいようにものを見る

登場人物の語りにより登場人物が描写される……登場人物という言葉を、“脳髄” もしくは “意識” という言葉に置き換えてみると、なかなか皮肉に満ちた状況が浮かび上がってくる。即ち、「脳髄の語りにより脳髄が描写される」(意識の語りにより意識が描写される)……この時点で、脳髄 (意識) は客観的に正しく脳髄を科学することなど出来ないのだ。脳髄 (意識) よりもより高次の、時間や認識の次元の存在が必要になるであろう。もっとも、それが客観的に正しく脳髄 (意識) を描写できるかどうかもわからないのだけども。事実と認識された事実は同一のものではない。繰り返すが、我々の意識はいつも我々自身に都合のよいように事実に解釈を加え、認識を生むのである。1

主人公は、この一連の事件は、呉家での事件と取るに足らない様々な要素を結びつけてしまった2人の博士による馬鹿馬鹿しい茶番だと考えたようであるが、それもまた主人公自身が自分の都合のよいように解釈した結果である。

正木博士は本当に正木博士であったか?

話を元に戻すと、M と W が登場する話の中で、実は M が若林、W が正木と解釈することも可能である2 。というのは、主人公の「M も W も共に正木である」という解釈は、さらに突き詰めると、M や W として語られる正木や若林の存在がアヤシクなるだけではなく、九大医学部精神科教室の正木と、九大医学部法医学教室の若林が、別個に独立して存在した個人かどうかもアヤシクなってくるのだ。若林の名前も意味深である。鏡太郎……これを伏線と言わずになんと言うのだ?

そもそもこの物語は、すでに何もない窓の外に、解放治療場にいる患者たちを見てしまうほどに現実認識があやふやになっている主人公が書いた作中作であるし(ラストまでくるとその前提を忘れそうだけども)、正木や若林として描写されている「誰か」が、主人公に全て真実を話したという根拠もないのである。

この小説は難解だとか、よく分からないとかいう話を聞くけれども、その所以は、小説中で語られる内容は、全て小説中においては真実であるという、読者の思いこみにあるんじゃなかろうか。繰り返すが、我々の意識は自分に最も都合のよいようにものごとを解釈する3 (いいかげんくどいねw)。小説を読む上で、読者にとっていちばん都合のいい解釈は、小説の設定やストーリーが、小説中においては全て真実であるという認識を持つことではないだろうか?

繰り返される一瞬

最後に、主人公は柱時計の鳴る病室で目を覚ます。目覚める直前に、彼はこの記憶を巡る物語が何度も繰り返される可能性に気づく。彼にとってこの記憶、すなわち自分自身が解放治療場の患者を惨殺してしまったという記憶は、保持していること自体が非常に苦痛なトラウマともいうべきものであり、忘れる方が彼の意識にとって幸せだから、忘れるという選択をしたのであろう。

しかしお節介焼きの若林は、主人公を起こしにやってくるのだ。何度も繰り返しているという主人公の予想が真ならば、とんでもなく酷な課題を主人公に繰り返させているということになる。故に、真に恐るべきは、実験を思いつき、実行させた若林ではなく、結末を知っているくせに何度も繰り返し起こしに来る若林である。まさに無限地獄。

しかも、主人公が若林に起こされてから、全てを悟るまでに経過する時間はいったいどれだけなのか。1ヶ月という大まかな推測は出来るが、本当に1ヶ月か? 1サイクルが長いならまだしも、短い場合は最悪である。だって、間違いなく (繰り返し回数) = (残りの寿命) ÷ (1サイクルにかかる時間) ではないか?

以下は私の妄想上の産物。私は、「胎児の夢」という伏線から、この1サイクルは一夜の夢の中の出来事だと考えているのだけど、そうであれば彼は永遠に醒めることのない悪夢の中だ。その他の小説ならば、夢オチでよかったね、ということになるのだけども、この小説においては繰り返す可能性が示唆されているだけに、よかったねとは言えない。残念ながら我々にとって、意識が真実だと認識したものが真実なのだ。つくづく怖いなぁ……。

最後に、呉一郎とは何者か?

さて、私はここまで、主人公を “主人公” と表記してきた。というのは、主人公 = 呉一郎だという確信が、いつまで経っても持てなかったため。殺人者である呉一郎は、小説中に確かに存在するのかもしれない。しかし、主人公が呉一郎であるとはっきり示した描写はなかったように思うし、これだけ小説中に嘘が散りばめられていると、彼が最後に取り戻した (っぽい) 記憶も、作られて刷り込まれた記憶にしか思えないのである。

それからもうひとつ、彼の姓はともかく、名が没個性的であるというのもある。他の登場人物の名にはどことなく個性がある(……呉千世子、呉八代子、呉モヨ子、呉青秀、正木敬之、若林鏡太郎)にもかかわらず、彼は「一郎」なのだ。ここに、実験を受けるのは誰でもよい、つまり、被験者は代替可能な某でよいという意図を勝手に読みとったものである。

Footnotes

  1. 脳髄及び意識:これらはきっちり区別しないといけない概念だ。作者の中では、脳髄=物理的な存在、意識=より高次の存在と定義されていると読んだ。私はカッコ書きをして、ほぼ同義の皮肉になると思っている。いずれも、自分自身に言及するという点において、完全な客体にはなりえないからである。 Back
  2. 二人の風貌や振る舞いについての描写を、そっくりそのまま入れ替えるという但し書き付きになるけど Back
  3. さらに言うなら、我々の意識は、都合のよい解釈をするために、多少の矛盾は許容するという恐るべき能力を持つ。論理をすっ飛ばしても矛盾を許容できるのである。ゆえに、論理の方向から責められると、矛盾に引っかかって身動きが取れなくなったりもする。 Back

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Comments:2

ななし 08-06-12 (木) 0:25

会社の上司から借りて読んだんですが、この主人公、なぜ自分の隣の部屋が6号室である、ということが、物語の初期の段階でわかったんでしょう?
考えたこと、ありますか?

TsumuRi 08-06-17 (火) 21:38

ぎゃあああああああああああああああ!(衝撃
ちょっともう一度読み返す必要が出てきましたねこれは。あれ読むのはかなりの労力を食うのですが時間を作って読み直してみようと思いますよ!

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