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分からない幸せ、分かる不幸

私には、観察するくせがある。観察する対象は、意識。

最初は、自分を観察して出てきたもの__ここでも何度も書いているけど、浮かんできた vision や image を文章や絵に表現していた。感覚に極めて近い語彙や図を探すには、割と労力がいるが、嫌いな作業ではないので、結果はどんどん増えた。

表現した結果を観察しているうちに、似たり寄ったりの内容が、異なる語彙や図で描かれることも多いことに気づいた。今のところ、同じ内容について表現された結果から受ける印象はとても似通っている。気分によって多少変動の変動はあるが。もっと長期的に観察したり、今後、自分の中で価値観をひっくり返すような大事件が起こったりしたら、表現の仕方や、表現した結果から受ける印象はガラッと変わるかもしれない。

観察対象は何か

ここまででは、いったい何を観察しているのかさっぱりわからないかもしれないので一応補足。観察しているものは、表向きの表現の中にまぎれている様々な要素である。文章の場合は、語彙の選び方、文脈の運び方、手書きであれば文字の状態等。絵であれば、色遣いとか図の配置とか。表現したものに対して抱いている感情や印象に応じて、自然と、多分無意識のうちに、それらがアウトプットされてしまう。

自分の書いたものを見て、後で吹き出してしまったり、恥ずかしくなったりすることも多い。したがって、文章はきっちり推敲したほうがいい。推敲しない場合、言わば丸裸を晒す状態になるからだ。

他人に適用するのはまずかろう

そういうことを繰り返していると、いつの間にか、他人に対しても同じ事を行えるようになる。他人の内面を知る唯一の手段は、その人が発するものを観察することである。観察対象は、会話でも絵でも表情でも文章でも、なんでもいい。私に見える形でのアウトプットであれば、種類を問わない。

最も読みとりやすいのは、対面で行われる会話。観察すべき情報がものすごくたくさんあるし、念入りに推敲しないままに、口頭で文章を発するから、無意識にあるモノがそのままの形で出てくることが多い。動作はその人の感情を雄弁に語るし、無意識の語彙の選び方にも、それが表れる。

おかげで、人と会話すると、酷く神経が疲れてしまう。相手の持つ悪感情もコンプレックスも、直に入ってくる。自己統制の強い人間1 ばかりが相手だと、割と楽だと思うのだけど、たとえ仕事中であっても、そこまで統制が完璧な人間はいない。むしろ、仕事で利害が絡む分、余計に損得感情が出てしまうようにも思う。

この程度で疲れを感じるというのは、私の自我が脆弱に過ぎるということであり、今後、必要のない時はフォーカスを外せるように、トレーニングが必要であると思う。多分ほとんど必要がないと思うので、外しっぱなしにしたほうがよいのかもしれないが、外し方がいまいち分からないので困っている。

重大な問題点 – バイアス

さて、疲れてしまうだけでも十分問題なのだが、さらに問題になるのは、相手に対する好悪の感情により、表現から読みとった結果に、必ずバイアスがかかってしまうということだ。好感情も悪感情もバイアスをもたらす。もちろん程度の差や、質的な違いはあるのだけど、誤差が生じるという点では一緒だ。

これは本当に大問題。思いこみは身を滅ぼすのである。どのへんが大問題かと言えば、間違った解釈によって行動し、相手と軋轢が生じ、結果、相手との関係性を損なう可能性があることである。なんと言っても、間違った解釈で被害妄想になったらアホである。

だから分かることは不幸である

以上の理由から、実生活の中ではこんなことは絶対に口にしてはならない。相手の嫌悪の対象や、コンプレックスの対象が分かってしまったとしても、それを軽々しく口にしてはならない。それが合っていても間違っていても、相手との関係性を損なうことになる。

したがって、小心者にとっては、解釈や洞察の能力は不要である。そこに触れるのを怖れるあまり、人間関係に臆病になってしまうからだ。いっそのこと、相手の気持ちなど何にもお構いなしに、図々しく振る舞えたら、どれだけ楽になれるだろうか。

ネットでは人格は分からない

ここからは余談。

こういう風に書くと、じゃあネット上の文章から人格がわかるのか?という話になりかねない。私は、よく推敲された後の文章からは、その人の実態を読み取ることはできない。「他人に見せたい自己像」くらいなら、多少見えるかもしれないけど、それだけの情報で「あなたはこんな人だ」と断定するのも憚られる。それはあくまでその人の一面であるし、私の側にある感情でバイアスがかかった解釈でしかないからである。

Footnotes

行頭の数字は本文中の注釈番号に対応さしてます。

  1. 会話や動作に感情を反映させないように、統制が行われている人間。内側でどう感じていても、表面上それを察知されない境地に至るまでには、かなりの鍛錬を要とすると思う。だって表面上冷静に振る舞っていても、身体の末端に出てたりするんだもん。精神科医やカウンセラーはこのあたり、トレーニングしているのではないかなぁ (師匠が全然読めない人だから、という非常にサンプル数の少ない予想ではあるが)。 Back

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