- 2007-06-18 (月)
- Category: こころの深淵
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自由な子どもの魂が自分の中にいることを知った私は、その子どもを解放し、のびのびと過ごさせてやることで、精神の安息と自分が幸せであるという確信を得た。
こんにちわビスコの似合う27歳です (まだ根に持っているらしい)。
いや別にさ、27歳でビスコ食べててもいいじゃんって思うんだけど。ビスコ美味しいじゃん。ちょっと食べるのにいい感じじゃん。30円だし。カルシウムとDHA配合だし。強い子よい子のビスコなのに不当だ。ビスコは不当な扱いを受けているというわけで皆、ビスコを食べるのです。というわけでビスコ推進同盟でも発足しましょうか<マテ
ところで、27歳にもなって「うはー、ビスコ似合うなー、かわいらしいなー、様になってるなー、しっかり子どもやってるなー」とか畳みかけるように言われるのは、ほんの少し凹んだりもするわけよ。かわいらしいと言ったのは聞き逃さなかったけどね!ふふん。
自分でお子ちゃまなのを自覚している分にはいいんだけど、他人にお子ちゃま認定されると、なんとなく妙に腹が立つのですよ。人には大人に見られたいのが乙女心というものです。ふふふん。ブラックジャック先生に一人前の大人の女性扱いされたいピノコの心理そのまんまですね。ピノコの心理が分かりすぎて怖いんだが、覚えあるでしょ女性諸君?(ない?)
あーん、ビスコから激しく脱線したよー。ちょっとこれどういうことよおおおおおお。<自業自得だろうよ
というわけで話を戻して。
あるとき、自分の幸せについてふと考えたのさ。果たして自分は何をしていたら幸せなのかと。何をしていたら楽チンなのか。いったい何が一番なんだろうか。時間がかかった割に結論は単純だった。感じたことをそのまんまに出すだけ。自分の興味とか好奇心や快・不快の判断に対して素直になること。価値の判断基準を自分中心にすること。自分が快適にいられるのが基本であって、他者がどうこうは二の次。自分が快適で他社も快適だったら素晴らしいけど、他者を快適にするために自分が窮屈な気持ちでいるのは嫌。他者に害をなしたら当然自分に返ってくるから、基本的に他者の迷惑になることはしないんだけど、無理に他者に尽くす必要もないし、他者の評価がどうであっても自分が快適であればよい。
そうやってだんだん自分の本心を解放していったら、結果的に思考も行動も激しく子どもくさくなった。朝起きてきゃあきゃあ言ってたり、テンション上がらないって歌ってみたり、歌ってたら楽しくなったって踊ってみたり1 、ぬいぐるみや布団とじゃれてみたり。通勤途中は通勤途中で、妙にきょろきょろしてみたり、無駄に鳩を追いかけたり無駄にお花をつっついてみたり。仕事中も「メスアップタイムトライアル」とか「○○時間耐久メスアップレース」とか、しょうもないルール2 を自分に課したりして遊んでる (遊んでいるようで仕事はごく真面目にやっているので誤解しないように)。あと、機械が動かないからって機械を脅してみたり応援してみたりとか。
こんなことばっかりやってたら、何故それまで生活に絶望していたのかさっぱり分からなくなった。毎日繰り返す生活って、ものすごい単調なようでいて、実は全く同じ日なんて一日たりとも存在しない。
自分はそれでよいのだけど、社会とのかかわりの中で生きる自分を考えると、こういう行動様式はあまりよろしくなさそうな雰囲気である。他人の位置に立つと、衝動を抑えられない人という風に見える。衝動を抑えられないのは、社会人的にあまりよい属性ではない。特に私、雇われの身分だから、あまり妙なのはまずい。だから一生懸命大人のフリをしなきゃとか思うんだけど、やっぱりボロが出る。機械に話しかけてるのを目撃されたり、妙な鼻歌歌っているのを見られたり。目撃した人はたいてい固まってる。ぎょえーーーー。そして「きゃーすいませんっ!」と言ってとりつくろうとする私。ああ間違いなく変な人認定。
師匠にも毬藻にも散々「まともな大人のフリをしてなさい」と言われてるのに全然だめぽ orz
だけど正直、マトモな大人のフリをするといってもね、楽しいときに鼻歌歌っちゃいけないとか、嬉しいときに喜びを身体に出しちゃいけないとか、おもしろいものにすぐ飛びつくだけじゃいけないとか、なんか窮屈でやってられない感じがする。そんな息苦しいなら大人なんてやってたくない。
私は社会人やってるより、小学生やってる方が合ってると思う。いま小学生とか中学生とかだったら、毎日はきっと楽しいと思うよ。小学生とか中学生を見かけるたびに、彼らがまだまだ子どもやってていいのが、とても羨ましい。自分のあたまの中は子どもと変わらないのに、何故大人の生活をしているのか。何故こんなしんどい二重生活を強いられるのか。もう大人なんだから言っても仕方ないけど、もっと自由に生きたい。
大人の生活に適応するには、大人仮面を作って、外にはそれをつけて出ることが必要。だけど、大人仮面はいつの間にか自分を乗っ取るのではないだろうか。行動様式は考え方に影響するし、環境は人間を洗脳する。実際それは何度も何度も体験してきた。私は大人仮面をつけて、その下で生活することがとても怖い。乗っ取られてしまえば、自分が乗っ取られていることが見えなくなる。それで一度精神を破綻させた自分は、それが嫌でしかたない。
このへん、どう折り合いをつけて自分を社会化するかというのが、これからの自分のテーマのひとつになるのだけども、願わくばその過程で子ども心を失うことがありませんように。
ねえところでみんなどうやって折り合いつけてるのさ。しんどくならないのけ?
Footnotes
- さすがに早朝、大騒ぎしたりはしません。歌といっても小声で鼻歌程度だし、踊るといっても座ったままゆらゆらしているだけだ。当然のごとく窓はきっちり閉めている。このへん子どもよりはだいぶマシだと思うw Back
- いやね、しょうもないルールはけっこう大切だよ。だって連続で20個とか30個とかメスアップしろって言われたら泣きたくなるもん。下手すりゃ机の上にメスフラスコが50とか並ぶぜ。しかもメスアップだけじゃなくて秤量も入るからな。50検体秤量とかアホかとか思う。ホールピペットなんかを使う日も神経を使うぜ。そのうち目がしぱしぱしてくる。もうね、明らかにやる気の出ない作業。こうなったら最短記録に挑戦!とか○○時間耐久メスアップレース!とか、とにかくおバカなことを考えて、むりやりにコスモを燃やすしかないよ。やる気はないけどメスアップ50個とかって、やったあとすごいカタルシスはあるよね。メスフラスコ50個が実験台の上に並ぶもんね。ま、ドマゾの所業だとは思うけどね。
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