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イメージで捉えるのはよくないらしい

イメージで技を捉えるとそこから育たなくなるという話がぽつっと出たのだけど、私は、有段者がひとつのイメージに膠着することはないと思っている。というのは、初段の昇段審査が、軽いトラウマになるから。正直あれは鬼だと思うし、審査を受けることで《今までやってたのはしょせん型稽古》だって思い知るから。

もう7年も前の話になるので記憶がおぼろげだけど、立ち技は自由技で何分かやったと思う。一級の審査までは受けが合わせてくれる雰囲気があったけ。初段の受けは本気度が違った。正面打ちや突きの速さが違うし、一瞬で間合いを詰めてくる。捌いても次打ってこようとするし、めっちゃ怖かった。あれは正直びびった。合気道ってびびったらダメだね。身体の自由はきかなくなるし、無駄に重心は高くなるし、腰が引ける。1

私はその時、正面打ちをおでこにもろに食らって、そのまま、泣きながら審査を受けた2 。悔しいのと痛いので涙はどんどん出てくるし、拭いてるヒマなんてないから仕方なかった。審査には通ったけど、アレは本当に悔しかった。突きを腹にくらいかけてる人もいたし、稽古の時か本番か忘れたけど、後ろに密着するタイプの入り身で一瞬もたついて、背負い投げをくらった人もいた。一緒に審査を受けた同期は皆、受かった嬉しさより悔しさの方が強かったみたいで、みんな直後の飲み会でアホみたいに飲んで、半分泣きながら本音トークしてた。いい思い出。稽古をしなくなって何年も経つのに、いまだに悔しい。

初段を取ることは、単に基本の型を一通りやれるようになっただけに過ぎないと思い知ったし、やっとスタートラインに立てたんだと思った。

それからあと、今まで《言葉で説明されていた型》を捨てたいと思った。あれは個別のケースを極端に一般化したものに過ぎないし、本質はその瞬間にしか分からないし。一般論としての理屈があっても、個別ケースに応じて個別ナイズしないと実践できない。そのためには、こだわりがものすごく邪魔になると思う。

ああそういえば、私に合気道を教えてくれた先生は、いつも飄々としていたな。あの人には受け容れられないものなんてないだろう。そんなイメージ。私が精神的にアレな状態になったときも「君の人生おもしろいねぇ」とか言ってた。私はその当時、自分がそうであるにも関わらず、偏見を持っていたから、その言葉に何となく救われた。先生には救ってやろうとかいう気持ちはこれっぽっちもなくて、単に自分の感想を述べただけだと思うけど、それでひとつ居場所ができた。

実生活と固定観念

話は変わるけど、日常生活の中の心のありようとしても、固定観念に縛られるのは良くないと思う。以前から散々書いてるけどそれって狂信者じゃん? 今ある思考様式とか行動様式とかの不完全さは、いつも感じている。その場その場でどんどんその場ナイズされるべきだし、必要なければ捨てたらいいし。今ある価値観を捨てて、もしあとで必要になったらまた拾いに行けばいい。今持っているものに拘る必要はなくて、ゆるりとしてていいような気がする。いっぱい捨てた結果、自分が何処に行くのか、どんな風に化けるのか、考えると少し楽しみ。

Footnotes

行頭の数字は本文中の注釈番号に対応さしてます。

  1. 二十歳そこそこの女性に、武道経験が何年もある男性がすごい勢いで殴りかかってくるってどうなのさ。ある程度手加減はしてたんだろうけど、あれは本気で怖いわ。 Back
  2. おでこに食らった正面打ちのせいで、数日間こぶができていた。 Back

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