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人に心を向けるとき

副題「介入的人間関係論」

さて、昨日書いた「人に心を向けてはいけない」とは、全く正反対のことを書きますよ。ただし、正反対ではあれど、このケースは、基本的には人に心を向けないとしつつ、その上で人に介入しようと思ったときには、人に心を向けることもあるという、言ってみれば部分集合のような関係なので、正反対ではあるけど矛盾はしていない、と思う。

前置きが長くなってしまったが。

人に介入していこうとするとき、完全に心を向けないでは、よい介入のしかたはできない。その時だけ限定的に、自分の心のほんの数%だけを、相手に向け、相手の心に沿わせ、相手を感じる努力を行う。

相手に心を向けることで、私は、相手が何を思い、何を感じているのかを、自分のこととして知ることが出来る。これは、相手を見るだけでは得られないことであるし、貴重な情報でもある。

相手を見る、つまりよくよく観察することで、私は、相手の問題が何であるのか、客観的な観点から考察し、最も合理的な解決策を導くことが出来る。ただしその解決策は、合理的ではあっても、相手にとって受け入れがたいものである可能性が否めない。そこで相手に、自分の心の数%だけでも向けることによって、相手が何を問題として感じるのか、何を受け入れることが出来て、何を受け入れることができないのか、知ることが出来る。

観察した後で感じてみることで、合理的であり、かつ、相手が受け入れやすい解決策を提示することができる。その策は、最も合理的な解決策ではないかもしれない。しかし、私が導くことのできる解決策の中で、相手にとって最適な解決策となる可能性が高い。

ここで注意すべきは、相手に心を向けると言っても、心の100%は向けてはいけないと言うことだ。相手に向けてよいのは、せいぜいが数%である。私は、90%以上は観察者、数%だけ共感者であるべきだ。何故なら、100%の共感者になったとき、昨日も書いた通り、様々な問題が起こってしまうからである。

特に陥りがちなのは、人の問題を、自分の問題であるかのように錯覚することである。人の問題はあくまで人の問題であり、私の問題ではないということを、理解せねばならない。私がいくら努力しても、問題を抱える当人が努力しなければ問題は解決しない。彼が変化を起こし、また変化することなくては、彼の問題は永遠に解決しないということを忘れてはいけない。

人に介入していこうとするときは常に、自分が誰であるか、問題は誰のものであるかを、強く念頭に置かねばならないのである。そうすれば、人の問題に自分が巻き込まれて、ただ疲弊していくのを、防ぐことができるだろう。人の問題には介入してもよいが、自分がその中に巻き込まれてしまってはいけないのだ。

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