※別館『毬藻ん?』に書いてたのを引っ張ってきただけ。
他人は自意識を映す鏡。同じく他人の書いた文章も、自身の内面にあるものを引き出す。外に表れる兆候は、内側のものを読み解く鍵。
どういう内容のものであれ(ex.失望、怒り、要望、嘲笑)、あなたがわざわざキーボードをかき鳴らして言及せずにはいられなかった、という一点だけとってみても、あなたがその対象に対してどれほどの執着と期待を抱いているのかを証明づけるには十分といえる。
シロクマの屑籠(汎適所属) – あなた、言及しましたね
他人は自意識を映す鏡。同じく他人の書いた文章も、自身の内面にあるものを引き出す。外に表れる兆候は、内側のものを読み解く鍵。
私は自分の問題に関係の深い事柄をスルーすることができない。スルーすることが、元の文章を書いた人間や、彼に言及されている人間のためになることが分かっていても、スルーできないで反応してしまう。私にとって、他者の利益よりも自分の利益__それに言及することで得られるカタルシスのようなもの__の方が重要だからである。そのことによって他者を傷つける可能性は、いつも頭の中にあるつもり。まあ、それならスルーしろよってはなしなんだが。
自分自身の回復の過程において、人間は無意識のうちに、自己の内包する問題を他者に投影し、自分勝手な感情を理不尽にぶつけてしまうことが頻繁にあることを学んだ。専門用語で感情転移というそうだ。
例えば私は、加害者1 という立場にある人間に対し、非常に強い怒りを覚える。なので「精神鑑定→ 無罪放免」という今の流れにも強い怒りを覚える。また、勝手な思いで他人を傷つける言葉を吐く人間の、その部分を激しく憎んだりもする。が、それらに対して憎しみや怒りをぶつけることはあまりしたくない。理由は、自分の中でその感情が、彼に対する憎しみや怒りなのか、それとも自分の中で解決していない問題に起因する八つ当たり的な憎しみや怒りなのか、明確に区別できていないからだ。
「バカ」というのも「氏ね」というのも簡単だ。だが、八つ当たりにより、攻撃的言葉を受けた人間がどう感じるか、一応は分かっているつもりだから、怖くて言えないのだ。簡単だからこそ怖いのだ。一度発した言葉は、自分の手を離れる。
だから言葉を発する前に、それが正当であるか検討するために、ものすごく時間がかかってしまう。特にそれが他者に対する批判の場合、個人的な憎しみや怒りを取り除くために余計に時間がかかってしまう。正直、言及するよりもスルーする方が、時間や考える労力というコストは小さくて済むのではないかと思う。だがそれだけのコストを払ってでも言及するのは、私にとって一番大切なものが、私という自意識だからだと思う。
何書いてるのか分かんなくなったよ。まとまってないね。
Footnotes
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