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点のように流れる思考

一昨日 (8/28) 思いつくままについったーで垂れ流したったーなログ。気づいたらひとつエントリあげられるくらいの量垂れ流してた。

たいていはずっと前に考えたり知ったりして、もう文章に起こしていたりしたものが、ぼろんぼろんと出てきたもの。けど、「点と線」ちう発想は始めて出てきた。ちょっと面白かった。

ろぐ

TsumuRi: あーそういや数日ブログ更新してねえな

TsumuRi: 何に対して言及しても、分析的視点でしか語れない

TsumuRi: 自分が当事者ではない事象に関しては、分析はできるけど共感や感情移入がしにくい

TsumuRi: 自分に関しても感情や認識の問題については、他人の視点から分析してしまう

marco11: 分析屋の性なんじゃねーの

TsumuRi: 結果、自己に内省を促す言葉しか出てこない

TsumuRi: が、内省はもうアホほどやったし、お腹いっぱい。
TsumuRi: ひたすら同じ意味の記事が増えていく。具体例だけ変更して。

TsumuRi: @marco11 いや、確かに分析屋だけど作業内容が全然違うwww

TsumuRi: 自分の関心の中心は、良くも悪くも自分自身なのだろう。

marco11: ははははw。脳内の回路通すことを分析って言うのって不思議っちゃ不思議なのかな

b_say_so: うにゃ?私同じことしか書いてないけどなぁ…

marco11: 「結局あなたは自分にしか興味がないんだよ」ってある女の人に言ったら超激怒されたことがあったな

TsumuRi: 当事者的視点を離れることは、自己防衛のための機制の一種であるとは言え、たまにうっとおしい

marco11: でもそういうものでしょブログって>例が違う同じ記事の積み重ね

TsumuRi: たまに思う「俺って誰」

TsumuRi: あっさりと答えが出てしまう「俺は俺」

TsumuRi: あああああ内側からわき上がる感情のまま「うきゃああああ」ってなりたい!

TsumuRi: 得体のしれないものを、得体がしれないまま受け止めて「うきゃあああああ」ってなりたい!

TsumuRi: ついでに、出来れば得体がしれないままOutputしたい!

marco11: 受け止めるのは重要。ストレートに出すのも重要。最近思ったけど、ストレートに出してもわりとわかりやすいカタチになってるから俺は単純であり健全なのかなあと

TsumuRi: 《言語》って優秀なツールだけど優秀すぎてたまに困る

marco11: ストレートじゃねえのかな。なんらかの意味で串さしちゃってんのかもな

TsumuRi: 自分の見たまんまの《現実》を表現するのに、いったん共通の記号である《言語》に変換する必要があるのは何故

TsumuRi: 《言語》を利用しようとして、逆に言語にトラップされる

marco11: 社会が言語でできているという考え方にのっとってるから

TsumuRi: 言語でものごとを捉えることに拘る限り、今ある語彙以上の「何か」を得ることはできない

tatsu: 別に言語に変換する必要性はないのでは?見たものを絵で伝達する方法だってあるわけだし。単に概念の理解って観点で言葉にマッピングしないと理解できないってことじゃなかろうか。

TsumuRi: もやっとした「何か」を言語以外の形で表現し記憶に止めることが出来れば、言語のみでカバーできない部分をカバーできる

tatsu: 多分そういう意味だと人間は言葉って外部記憶に自身の理解の一部を預けてしまっている。それってよくよく考えるとものすごく高度なメカニズムだよね。

TsumuRi: が、言語つまり文字以外の媒体は容量がでかい。

b_say_so: 複雑なものを単純化して言語化するから思考と発言したものに齟齬が生じる

TsumuRi: 記憶の種類には通常の記憶と外傷的記憶が存在しする

TsumuRi: 前者が言語的な文脈を持って語られるのに対し
TsumuRi: 後者は非言語的に、《そのままの形》で保存される

TsumuRi: 前者は文脈を覚えていれば何度でも同じように再生されるが
TsumuRi: 後者は《そのままの形》である故に思い出して言語を用いて表現しようとすると困難を生じる

onk: @TsumuRi 記憶はともかく思考は言語によって構成されるので,離れるのは無理じゃないかなぁ.

TsumuRi: 外傷性記憶の性質として、それが思い出したくないトラウマに関わっているというのも理由のひとつとしてあるが。

TsumuRi: 3才以前の児童の記憶の様式は、非言語的であるらしい

TsumuRi: そして大部分の人間は、3才以前の記憶がないという

TsumuRi: 3才以前のことを知っているのは、それ以降に誰かから聞いて、それを初めから自分が知っていたように錯覚していることが多いらしい

TsumuRi: ていうかなんの話や

TsumuRi: 言語的でない思考は多分存在する。

TsumuRi: あれがああでこうであんな気がしてという《もやっ》とした感覚が脳に生じる。

TsumuRi: そのとき一連の《もやっ》の結果として、結論が導かれるが、何故結論が導かれたのか分からない。

TsumuRi: 結果的に、言語というツールを使って結論から遡ることで、思考の流れの近似解を得て安心する。

TsumuRi: あー、《もやっ》は《もやっ》のままでほっといたらいいのか。

TsumuRi: 多分、《もやっ》から生まれるものは、新しいものである。

TsumuRi: 理由:既存の自分の思考様式から逸脱しているから。

TsumuRi: 以上思いつき。サイダー飲みたい。

TsumuRi: 関係ないけど今日《自閉》と《分裂》について考えた

b_say_so: いろんなことをみなかったことにしたいな

TsumuRi: あと《personality》と《identity》と《dissociation》について考えた。

TsumuRi: 《執着》と《関心》と《解釈》《分析》についても考えた

TsumuRi: だがぶっちゃけ考えただけで終了wwww

TsumuRi: 最近中途半端なままで放置するのがすごい得意www

marco11: 記述可能なあれを社会と呼ぶんだろうね

TsumuRi: ブログの文章を書こうとするとなんかめんどいのは、
TsumuRi: 私の中でブログの文章は、文脈という初めと終わりがはっきりと分かる線として描かれないといけないから。

TsumuRi: Twitterでだらだら書けるのは、点のままで許されるから

TsumuRi: 人は「象徴としての《単語》」と「単語の指す《意味内容》」が結びついているのを当たり前だと認識している。

marco11: 自己愛を社会化する技量を何と呼ぶの?

TsumuRi: しかしこの《単語》と《意味内容》を結びつける作用って何なんだろうね

TsumuRi: 《意味内容》と言っても《簡略化された意味内容》出会って、そのものではないんだけどね

TsumuRi: 頭の中にあるパズルのピースは、多分本当は全部独立した点なんだと思う。

TsumuRi: 私は必要なピースを選んで、線で結ぶ。この選び方はどうやって規定されたのか。

TsumuRi: 多分私という思考の主体の欲求が、そういう風に線を引く。

TsumuRi: 世の中の事象も本当は全部独立していて無関係なのかも知れない。

marco11: 転移・投影・同一化

TsumuRi:点は点として放置していた方が発想は豊かになると思う。

TsumuRi: ただし何度も繰り返すような操作は、点のままで放置したら毎回線を引かないといけないのでめんどくさい

TsumuRi: 高校の頃に、たくさんある公式を丸覚えすることが出来なかった

TsumuRi: @marco11 精神分析の世界でよく語られる言葉ね

TsumuRi:: 丸覚えが出来なかったから、基本の定理だけを覚えた

TsumuRi: 全部いちいち線をひく操作をした。今思えば若いエネルギーの無駄遣い

TsumuRi: 世の中を俯瞰的に見て理解しようと思うと、無数の点を選んで線を引かないといけなくなる

TsumuRi: 我思う故に、我あり。
TsumuRi: 我思う故に、世界あり。

TsumuRi: 自分が点を選び、線を引く操作を行った時点で世界は《生》の姿を消す

TsumuRi: 思考し、世界を俯瞰的に眺めようとする主体の数だけ世界は存在する

TsumuRi: ある人にとっての事実は、また別の人にとっては事実ではない。

TsumuRi: ある人にとって、ある現象が存在していても、またある人にとってはその現象は存在していない

TsumuRi: TsumuRi: 認識が、その人が了解可能な世界を形成する。

TsumuRi: そういえば昔、斎藤環の講演のまとめを読んだときに書いてあった。ラカンのいう《現実界》は精神病の世界なんだってさ

TsumuRi: 存在があるから概念が発生するのか、概念があるから存在が規定されるのかよく分かんないよね。

TsumuRi: よく言われる、外人さんは日本にくる前は肩こりにならなかったのに、日本語を覚えて肩こりという単語を知ったあと、突然肩こりになったという。

TsumuRi: 認識は世界に干渉するし、世界は認識に干渉するんだと思う。

TsumuRi: 今日の垂れ流しだけで長文ひとつ書けそうな気がしてきた

aka_aus_pd: @TsumuRi シニフィエとシニフィアン(だっけ?)をおもいだした。つか,斎藤環はラカニアンだったきもす

TsumuRi: 真面目に世界とか認識を語れるようになろうと思ったら、もうちょっと本読まないとダメだね

TsumuRi: @aka_aus_pd 斎藤環は日本のラカン派の第一人者。…ということは知っているが俺は彼の著作は一作も読んでないし、ラカンの思想にも全然触れたことないw

marco11: 本なんて読んだら馬鹿になるって人もいるから注意です

TsumuRi: ああ、そうか、血が通ってないんだ、たまに。

TsumuRi: やっぱ言葉は善かれ悪しかれ人間を縛る。

TsumuRi: 呪いの仕組み。

aka_aus_pdi: @TsumuRi 彼奴が書いたラカン入門書がでてたような。近くの丸善だと心理学のコーナーで平積みだった。なんだっけなあ,タイトル…

TsumuRi: 本を読んだら、本の内容に行動が支配されるよ。

TsumuRi: 個人にとっての《世界》は存在するけど、万人に対する《世界》なんてものは存在しない

TsumuRi: @aka_aus_pd 「生き延びるためのラカン」?

TsumuRi: 冷静に考えたら斎藤環氏の著作、読んだことあったわ。

TsumuRi: ラカン関係じゃないけど「解離のポップ・スキル」と「文脈病」の途中まで。

TsumuRi: 斎藤環氏の文章は、独特の「用語」が大量に出てくるので、彼と用語の前提を一にしていないと理解しにくい。

TsumuRi: 社会学が応用的な学問であるのも理由かもしれない。

aka_aus_pd Reading: ” 生き延びるためのラカン : 斎藤 環 //つーか,ホッカルかよ” (http://tinyurl.com/2lzq65)

TsumuRi: 精神科医の文章としては中井久夫氏の文章の方が感覚的に理解しやすい。

TsumuRi: けど師匠は精神科医のくせに、中井久夫氏の文章が感覚的によく分かんないと言った。

TsumuRi: けど師匠は精神科医のくせに、中井久夫氏の文章が感覚的によく分かんないと言った。
多分「他者のものとしての体験」は理解していても、「自分のものとして」体験していないのが理由だと思う。

uta11: 世界の中心が自分にあっても世界の隅っこにこっそり存在したいです∽mb

TsumuRi: あと、一冊しか読んでないけど野田俊作氏の文章も感覚的に理解しやすい

TsumuRi: 学問は現象を現象のままで在らせることを許容しない。

b_say_soi: あとひとに「女の子ってサプライズが好きだよね?」とかきいといて「いやーべつにー」とかいうと「この人変わってるから参考にならない」とかもうなんてかねきみらねしんでこいと

TsumuRi: @b_say_so 多分彼の中にある「女性という類型」をはみ出したから気分が悪いんだよー。了解不可能なんだよきっとー

TsumuRi: 結論としては精神分析というツールは便利な道具であるが同時に優秀なトラップでもあるということだ(なんでこれが結論やねん)

marco11: 中井久夫はショッキングだよ。精神疾患の治療法をエッセーで解説してんだもん。しかもその方法でほんとに良くなるからね

marco11: 基本的に心を合わせてなんかうつすんだよ。そうすると良くなるんだよ。俺は昔から知ってたしやってたけどな

TsumuRi: 人間が言語というツールを使う以上、人間には限界があるし不完全性がある

marco11: 治癒って愛と誠実と根気だよな。

TsumuRi: けど限界があるし不完全だから人間って愛しいよね

TsumuRi: @marco11 私は、割と当たり前の方法を当たり前に使っているのだなと思った。

marco11: 俺大学入った頃、都庁の下のパスポート作るところの待ち時間でラカンの解説新書読んで、待ち時間内で見切り付けたな。コイツあかんなと

TsumuRi: 執着ってその人の変態性を表してるよね(ぇ

bluesyk: @TsumuRi それは曖昧な物言いですね。人間が何のツールとして言語を用いるのか。人間にどういう意味で不完全性や限界があるのか。 *Tw*

bluesyk: 精神分析が提供してくれる解釈は解釈のための解釈に過ぎない。 *Tw*

TsumuRi: 個人的に治療という作業は、既得概念を上書きする「再洗脳」だと思っている。けどそれは善意による。

TsumuRi: ただ、善意であっても、その人にとっての善意が私にとって善意じゃなかったらちょっと困る

TsumuRi: よって治療者と患者は、最初に彼らの利害関係が「治療同盟」によって完全に一致していることを確認しなければいけない、と思う。

TsumuRi: @bluesyk 「思考のツール」「記述のツール」「伝達のツール」

TsumuRi: @bluesyk 見たままの現象を言語化する過程で、情報が削ぎ落とされるから、完全な形で見たままの現象を伝えられない。それが限界。

TsumuRi: @bluesyk なので言語を使う以上、情報の省略化からは逃れられない。しかし今のところ言語以上のツールがないというジレンマ。

TsumuRi: @bluesyk あ、私は見たまんまの世界を見たまんまに記述したいという立場の人間なので、限界を感じるのかも。

bluesyk: では言語を用いない伝達は可能か?

junkMA: 『物事を見るときには、有るものではなく、無いものを探せ。』

bluesyk: 問題は言語にあるのか?情報量の観点から行けばどんなやり方であれ人間の精神のメモリスペースが有限である限りは情報は落とさざるを得ない。

TsumuRi: 綺麗な風景を見たとして、サヴァンの人が望むなら、彼は風景の細部まで完璧に覚えていられる。絵にも描ける。私はそれを覚えられないし伝えられない。これが私の限界。

TsumuRi: 《世界》がたくさん存在するから世の中はこんなにややこしんだな、きっとな。

TsumuRi: とりあえずエントリを一回あげるくらいの量の文を垂れ流したな。

bluesyk: 別に特殊能力に頼らずとも色なら写真、音なら録音技術を用いて金に糸目をつけなければ分解能を上げられる。

TsumuRi: まともに線を書いていたら絶対こんなに出てこないから、点のままで適当にぽいぽいだした方がいいな。

TsumuRi: う…毬藻が早く寝ろと怒っている…

bluesyk: bluesyk: いや僕も限界はあると思いますが「人間には」とことさらに言う意必要があるものなのかと思うわけです。

bluesyk: むしろ人間かいなかによらない認識・記録・伝達という行為自体の特性ではないでしょうか。

TsumuRI: @bluesyk 脳のメモリスペースって有限なの?

TsumuRI: @bluesyk 写真だと、風景を見たときにわき上がるあのきらきら感は再現できないと思う。自分の中で起こるきらきら感も含めて《見たまんまの世界》

bluesyk: 伝達形式の特性としては再生可能であること。そして再生はルールにのっとって行われる。ほとんど言語と同じ。共通の文法を参照して意味を再生というのは言葉も画像ファイルも音声ファイルも同じ。

TsumuRI: @bluesyk 私が愛しいと思う対象が人間であり、人間を愛しいと思う理由は「不完全な状態で不自由があってもじたばた生きているから」なので「人間には」という必要があったのです。

TsumuRI: TsumuRiのTwitterは論理的な整合性とかそういうものを放置して「感じ」を垂れ流しているから、細かいところの整合性を求めちゃダメだよ!!

TsumuRI: @bluesyk で、何故不完全で不自由なのかといえば、色んなことをするツールとして、機能に限界のある言語を用いているから、となりました。

bluesyk: 生物でも発光は出来るから、白黒プロジェクタみたいなものを器官として持つ生物は可能かもしれない。だが、いないところを観るとコストが悪いのだろう。

bluesyk: bluesyk: @TsumuRi 脳が物質として有限ならその情報量も有限だと思います。

TsumuRI: ぎゃああああ、また毬藻が怒っている!

b_say_so: @TsumuRi 有限だといわれてますよ>脳のメモリスペース

bluesyk: 外部刺激を内部に存在する「文法」で解釈してクオリア的なものは生まれるのだからクオリアを伝えようと思うのなら、「文法」という身体的な物も伝えなくてはならない。

ch1248: 「言語に問題がある」じゃなくて「言語を使うことそのもの」に問題があるケースはあるよな。

TsumuRi: 人間が実際に使用している機能に対して、どれくらいの程度で有限なんだろう…

TsumuRi: 三次元+時間軸が物理的な世界。でも人間が触れているのはもっと高次元の世界。

TsumuRi: 結局三次元+時間軸の制約から逃れられないから情報を簡略化する必要があるんか。

ch1248: @bluesyk 総合的な「感覚」をメタな文法とすれば、わざわざ別の文法(言語など)を通してから「感覚」(メタな文法)に通すのは遠回りな部分があるのでは?

TsumuRi: なんか今日垂れ流したTwitterも、過去に既にブログでぶつぶつ考えていたことの焼き直しだ… orz

TsumuRi: 既得概念って、自分にかかった呪縛のようでもある。

TsumuRi: なんか自分自身も既得概念の縛りからは逃れられてないなー

TsumuRi: やっぱり電波飛ばすしかないのかなー。

TsumuRi: みな、私の「意識」に直接コンタクトするといいよ!

TsumuRi: って攻殻機動隊の世界かw

ch1248:ドラムカンを一寸の狂いも無く所定の位置まで転がす職人がいるけど、それは分析するだけでも相当な物理学の学習が必要。が、職人を養成するにはそこまでの労力は必要無かったりする。

TsumuRi: がきんちょの頃って、他人の頭の中を自分が知ることができないっていう当たり前のことがすごく不思議じゃなかった?

TsumuRi: @ch1248 はてなでよくみるけど「メタ」ってなに?おいしいの?

ch1248: @TsumuRi 知識を統括するための知識は「メタ知識」。ブクマへのブクマはメタブクマ。オタクを研究してるオタクはメタオタク。

ch1248: @Tsumuri だから、「知識を統括するための知識を統括するための知識」とかでも「メタ・メタ知識」と圧縮可能。便利なんよ。

bluesyk: なんというか人間の身体性か結局。 *Tw*

b_say_so: 職人養成は10年とか20年のオーダーじゃないのかとつっこみたい

TsumuRi: @ch1248 知識のための知識ってことでOK?記号になったものをさらに記号にする?

b_say_so: 同じくらいの精度の機械を作るなら長くても五年だ(それだけに特化するのであれば

TsumuRi: 「メタ」から連想するものが、ベンゼン環の1位と3位の関係w

TsumuRi: @bluesyk 身体ってないとどうしようもないけど、縛り大きいよね

TsumuRi: 個人的には人間は身体性を超越することが出来ると思うよ。

b_say_so: 偉い人(とか大人とか)にはそれがわからんのですという言葉を聴くたびに、成長するといろんなことを忘れてしまうのかなぁと思う ちょっとさびしい

TsumuRi: 人間の精神の機能のうち、「解離」という機能。

TsumuRi: ただし「解離」がいきすぎると身体性を失いすぎて「personality」どころか「identity」の危機に陥るけど。

b_say_so: 身体性越えられちゃったらセンシングできねーなぁどうすりゃいいんだ

ch1248: @b_say_so それだけの知識及び、技術を持った人がいて、その上で分析してわざわざその機械作らないとダメ、って話ね。

TsumuRi: 身体の限界=感覚という縛り。

bluesyk: 僕は身体性を超越するのは無理だろうと思う。別に言語によらずすべてが身体に縛られている。お悟り状態とかは多分身体との幸せな関係を結ぶだけでしたいからは逃れていないと思う。 *Tw*

sayalbarni: 心の病気なんてない。幽霊くらい信用できない。

TsumuRi: というわけで身体性は超越できるけど超越できることで不適合が生じる。

TsumuRi: また、解離という作用は一種の才能なので、誰でも望んで手に入れられるものではない。

sayalbarn: 目にみえるものしか信用できないボクはつまらん人間です。

TsumuRi: あ、作用じゃなくて機能だった

TsumuRi: おらにおいてもコントロールを得るまではえらく不適合に… orz

b_say_so :@ch1248 ん?職人の養成でもおなじでわ?機械は最悪出来上がったものがあれば(同じ工程をふまなくてもよいのなら)作れてしまう、かもしれない(できないかもしれない

TsumuRi: 身体性を超越するとかいう話になるともはやオカルト的。

ch1248: 育てるのに10年も20年もかかる職人であれば刀鍛冶クラスだな。ドラムカン転がすだけならそこまで年月はいらない。

TsumuRi: けれど現象としては観察されているので、否定はできない。

TsumuRi: 心理学の領域でも「催眠」もかなりオカルト的だと思う。

TsumuRi: で、解離と催眠は密接に関係している。

bluesyki: 身体性って何らかの概念が身体依存性を持ってるということじゃないの? *Tw*

TsumuRi: 関係ないけど師匠は自分が精神科医のくせに、精神分析はニセ科学だとか、とんでもないことを言う。

TsumuRi: まあしかし、師匠が「精神分析教」に洗脳されていなくてよかったとは思う。

ch1248: 「身体に縛られている」という話がよくわからん。そこまで自分の身体って自由に動かせるわけでもないのに、「縛られてる」って表現が疑問。

TsumuRi:TsumuRi: @bluesyk 身体による物理的な制約を受けるという感じで使用した

TsumuRi: @ch1248 何故人間の精神同士が生で触れあうことが出来ないのかという疑問

bluesyk: @TsumuRi いや精神科医の技術の中で精神分析はマイナーですよ。 *Tw*

TsumuRi: @ch1248 人間は人間の感覚器官を超えるものは感じることができない。

TsumuRi: @ch1248 物理的制約:三次元と時間感覚

b_say__so: 思考が感覚に引っ張られてるといいかえればいいんじゃないですかに(違うか(厳密には

ch1248: @b_say_so 機械で再現するんであれば、「知識と技術を習得した人」が五年くらいかける必要あるけど、人で再現するんであれば「なんの知識の無い人」に対して5年間かければいい。

TsumuRi: @bluesyk マイナーですか…私の実感としては、神経症やトラウマ治療にはよく使うと思います。認知行動療法として。

b_say_so: あと何の知識もない人に対してなにがフィードバックをかけるのかとか

TsumuRi: でもぶっ飛んでいた頃は人間として機能不全だとも言われた。

TsumuRi: たまに、人間に痛覚とか疲れとか色々あるのは、すっげー不便だと思う。

b_say_so: @ch1248 それは同じ工程を必ずふむという場合をかんがえているんですか?

TsumuRi: このへんはぶっ飛んでいてくれた時代の方が楽だった。

b_say_so:b_say_so: 自分に制約かけるとどんどん追い込んでしまうからなぁ、僕はだけど

b_say_so: あれだなー僕の中では職人というのは先輩の技を盗むものだという前提があるんだなぁなんか間違ってるかな

TsumuRi: ともかくあれですよ、人間は睡魔という縛りから逃れられんのですよ!(何という結論

TsumuRi: こ、酷使したら壊れるのだ、おやすみ!

ch1248: @TsumuRi 「肉体という物をすっ飛ばしさえしたら、直接精神触れ合わすことが出来る」という考え方に疑問が。

ch1248: @b_say_so 「同じ工程」以前に「知識・技術の習得」に小学やら中学やらで15年以上かけなければならん訳で。

TsumuRi: @ch1248 いやもちろん空想。幼い頃、私が他人の精神を直接覗いたり直接語りかけたり出来ないのが不思議でしかたなかった。自己と他者の違いを規定しているのは身体なので、それがなかったら触れられるというのは多少暴論。

ch1248:ch1248: @b_say_so 先輩の技を盗むのはそうだけど、先輩のやってることが高度過ぎて理解できないことも多々ある。それを理解するのに優れた感覚が必要、という話。>職人

TsumuRi: 何で自分の精神は自分の精神で、他人の精神は他人の精神で、それぞれ独立しているのか。なぜ同一の者ではないのか、という疑問。

TsumuRi: うぬ これは自我同一性の問題であるような気がする

TsumuRi: いい加減に寝ろ自分、毬藻が本気でこあい

まとめ

最初、頭の中での認識とか知覚とかそれによって形成される世界とか、そういう話だったはずなのに、何かいつの間にか人間という存在そのものの話にすりかわってた。あんまり論理的な繋がりを考えないのでこういうことが起こる。

線を引く(≒論理的に結ぶ)ことで次の点にたどり着いたんじゃなくて、それ以外のなんかの作用で次の点がぼぼぼっと出てきたというか。勝手に「同時多発的思考」と名づけてみよう。たいてい私が思考するときはこんな感じ。論理カチ無視(おい

てか最後の方、全然頭が働かない状態で書いているから、使っている単語の意味がいろいろとマイ定義になっている気配。それじゃ他人が読んでも繋がらんだろうという部分が多い。俺はわかるけど。

みんな好き勝手に発言しているように見えて、全体を俯瞰してみると何かの流れがある。あるから思考が始まって、だんだん思考が拡散していく過程に似ている。

背景で一見関係なさそうに行われていた職人養成と機械談義、私の引いた線の流れに無理矢理でも乗っけてみると、ああなるほどと思った。

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