最近、このブログのテーマは「回復」だったり「成長」だったりする。内面的な気づきや、それに伴う変化を、とりあえず毬藻カテゴリに放り込んでいたりする。時期によって、同じような内容でもちょっとずつ表現が違ったりして面白い。
あくまでも印象なんだけど、体験としてこの過程を書いたものは少ない。治療者や援助者の視点から書いたもの1 はあるのだけど、当事者の視点で書いたものは、本当に数えるしか見当たらない。だから、私の個人的な回復の過程を綴ることには、なにかしらの意味があるのではないかと思う。私にとってはもちろんのこと、もしかしたら他の人にとっても。2
当事者視点で回復を書いたものが少ない理由は、なんとなく想像できる。
ひとつは、外傷体験を詳細に語りたくないから。語れないわけではなく、語りたくないだけ。自分の中では既に割り切っているようなことでも、外傷体験が偏見を呼び込むようなこともあるかもしれない。外傷体験を隠すことは、結果的に回復の過程も書かないことに繋がる。私は生々しい外傷体験を語ることはあまりしたくない。だから仄めかすだけで、具体的な記載をあまりしていない。このブログのテーマは外傷体験それ自体ではなく、あくまでも回復だから、それを書く上で必要な情報以外は書かないことにしている。
私は、痛くて辛くてしんどい体験談が読みたい人は、他に行ったらいいと思っている。少なくとも私は、痛いのも辛いのもしんどいのも大嫌い。可能なら楽をして生きたい。てかね、何で他人のそんなの読みたがるのさ。痛いじゃん。そゆのって、文章で読んでもダメージあるじゃん。痛いのは伝染するじゃん。呪いの言葉も伝染するじゃん。あ、脱線した。話戻す。
当事者視点で回復を書いたものが少ない理由のもうひとつには、回復が進むに連れ、過去の外傷体験や、回復に対する執着を失っていくことがあると思う。今が幸せだと、もっと幸せな未来に思いを馳せるし、今をよりよくすることには関心を持つ。しかし過去に対する関心 (執着と言い換えた方が適切?) は失われてゆく。誰にとっても過去があるから今があるのは事実だけど、それ以上の意味はない。生きづらさを感じなくていい状態が長く続くと、回復も成長も、だんだん当たり前のこととして捉えるようになり、それを特別なこととして、取り立てて書く必要も感じなくなるのではないか。…以上、私の想像。
生きづらさを感じなくていい状態でも、日常的に気づきはある。その瞬間は大発見として捉えるけど、気づいてからしばらく経てば、それもやはり他の過去と同じだけの意味しか持たない過去の気づきであり、それを考えたり書いたりすることに労力を割くよりは、今をよりよくすることに労力を割く方を選ぶのではないか。もちろん、過去を省みた上で、今をよりよくすることは考えるだろう。しかし基本的には、過去だけに留まることはないような気がする。
というわけで、気づいた直後は「書かなきゃ!これ残しとかなきゃ!」と思って書き始めるのだけど、書いている途中でなんとなく意義が感じられなくなって、草稿の段階で放置状態になったアレコレがたくさんあるのでした。いったんそうなってしまうと気づきの再発見がないと埋まったままなのですよ。お日様の下に出してやりたいのだけどなんだかねぇ。
えらそうに書くけど、回復ってなんだろうね
ところで、私は “真に” 外傷体験から回復するということが、どういうことか、未だよく分からない。理由は、どの点をもって回復と言うべきか誰にも分からないから。以前に「心的外傷と回復」を読んだとき、人生的に大きな変化によって、外傷体験由来の症状が容易に再燃することを知った。誰も再燃しないと言い切ることはできないし、結果的に “真に” 外傷体験から回復した状態を、誰も知らない。私は、回復の過程を亀のようにのろのろと歩んでいる自信はある。しかし、果たしていつになったら完全に解放されるのか全く予測できないし、絶対に再燃しない自信もない。
これまでに、揺り戻しのような状況を何度も経験した。直前までは世界がきらきらで幸せに見えていたのに、突然世界が悪意に満ちているように見えるのだ。そういうときたいてい、新しく獲得した認知様式はすっぽり忘れ去られ、昔からあった認知様式が復活しているのだ。好ましいはずがないのに、血となり、肉となっている認知様式。焼いて埋葬してしまったはずなのに、何度でも蘇ってくる呪縛のようなもの。確かに自分の手で捨てたはずなのに。
そういう瞬間が確かにあるから、私はまだ真に回復できてはいないと、思うんだよね。
だからこそ私自身が、私の回復の過程や気づきを書き綴る意味があるんだと思う。生きづらさを感じるとき、確かに自分のたどってきた過程を擬似的にでも見ることで、生きづらさを感じる自分の問題点と、生きづらさから解放されていた頃の自分との違いを発見する。そしてその間の溝を、生きづらさを感じている自分の側から少しずつ埋めることで、生きづらさは少しずつ解消される。
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