言葉には限界がありすぎて好かん。
何回くらいこれ言ってるだろ。多分忘れるくらい言った。
すでに色んな人に言われつくされているような気もするが、なんとなく閃いたから書いてみることにした。画像多め。
私的単語のイメージ
単語は「袋のようなもの」で、単語の指す内容は「袋の中身のようなもの」。袋の中身は定義だとか具体例だとか用例だとかがぎっしり詰まっている。たまに勘違いや自分定義やその言葉に対する勝手な思い入れなんかも詰まっている。ここ試験に出ますよ。
言語学の専門用語では、シニフィアンとシニフィエとかいうらしい。言語学的には「意味しているもの」と「意味されているもの」の関係だそうだ。私はいつもどっちがどっちかわからなくなるので、横文字は嫌いです。ところで、前段落で私が書いた単語と内容の関係よりも、シニフィアンとシニフィエの関係の方が適用できる範囲が広い。意味しているもの全般と意味されているもの全般に適用できるしさっ。悔しいけどそれは認める。
はい脱線した! 戻します。
さて左に示したのはからっぽの袋。最初の袋と中身の対応に従えば、単語は聞いたことがあるけどそれに対応するあれやこれやを全く知らない状態と表現できる。
この状態でその単語を使ってみた場合、恥をかくことが容易に想像できる。また、勝手にそれっぽいものを内容物として詰め込んだ場合も、いずれ恥をかくことになるだろう。この段階で、辞書や本で元の意味を調べることをおすすめします。
こっちは逆に袋がなくて、内容物だけがごろごろ転がっている状態。現象は知っているけど、これらを総括してなんと呼ぶべきかを知らない状態。あーだこーだ回りくどい表現をするしかなくて困り果てることが多いと考えられる。
袋も中身も、単独で持っているだけではあまり役に立たない。両方を揃えて初めてその単語として機能させることができる。ちょっと脱線するけど、強いて言うなら、空っぽの袋を持っているよりは、中身だけを大量にごろごろ持っている方が役に立つかも知れない。ひたすら中身を羅列して回り道ながらにも説明することはできるし、中身を包むための袋を提示されたらすんなり身に付くため。
語彙が豊かであること
語彙の豊かな人は、中身のぎっしり詰まった袋をたくさん持っている人、すなわち使いこなせる単語数の多い人である。一方で、語彙に乏しい人は、袋をあまり持っていないか、袋を持っていても中身が空っぽである人である。
語彙の豊かさと、文章や会話の巧さは、必ずしも正の相関を持つわけではない。語彙が豊かであれば、それだけ表現の幅は拡がる。しかし、分かりやすく文章を組み立てる能力がなければ、伝わる文章は書けない。同様に、分かりやすく会話を組み立てる能力がなければ、目の前の人間になにも伝えられない。
いったんぶった切る。
補足 (2007-9-20)
はてブで指摘頂いたので、ややこしげな部分を修正しました。
[語彙][言葉]「単語」が途中から「語彙」に置き換わってしまっているように見える。「語彙が多ければ、それだけ表現の幅は拡がる。」は疑問。語彙の量(多さ)=多様性ではない。
はてなブックマーク – 骨を拾う / 2007年09月20日
ご指摘どおり、途中から語彙の話を始めています。ややこいので見出しを入れました。単語=袋、ある人の語彙の豊かさ=袋の総量と書いてます。
「語彙の量=多様性」は、原文の意味とはちょっと違うような…。原文は「表現の幅」です。ニュアンスの違う同義語をたくさん持っている人は、より微細な部分で幅広い表現ができる、という意味で書いてます。
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