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i Tune ?

先に別の話題について何か書こうと思ってたんだけど、なんだかご指名のようなので、先にこっちを書いてみる。

知的好奇心解放 – マ儿コの日記 – セックスと同期 チューニング・インとアドラー心理学

アドラー心理学の話で呼ばれたらしいけど、私は一冊本を読んだだけなので、メインはチューニングの話。

自分的なアドラー心理学の位置づけ

私には本を一冊読んだだけの知識しかありませんよ。マジでなんで呼ばれたの? マジわっかんねー。全然わからねー。

ちなみに私が読んだのはこれ↓
アドラー心理学 トーキングセミナー―性格はいつでも変えられる

口語体で書いているので、とっかかりとしてはよいのではないでしょうか。私にとってはこの本、自分が体験したいろいろの気づきが、うまいこと文章化されている感じを受けた。あのときのあれはこういうことだったのか、的な感じね。自分の回復の道のりを、別の角度から理解する一助になった感じ。

岸見一郎氏については、名前は知っていますが著作は読んだことがないです。

以上。

チューニング合わせられたはなし

タイトルに書いたチューニングの話だけど、これは師匠との関わりの中で何度も体験しているし、以前に文章に起こしたこともある。
Spherical-moss.net » 感覚ってときたま伝染するよね

チューニングを合わせているかどうかは、ある程度視覚的に感じることができる。対峙している人の「外壁」の存在感が濃くなったり薄くなったりする。濃いときはチューニングを外している状態で、薄いときはチューニング度合いが高い状態。対峙している間に徐々に外壁が薄くなるのも視覚的に感じる。外した瞬間、外壁が濃くなる。あくまで主観なんだけど、「今こうでしょ」とか聞いてみたら、予想はわりとあたっている。

外壁の存在感の濃い/薄いは、私が感じる、その人の心の開き具合の指標の、外壁が厚い/薄いとは違う。なぜならば、師匠が私にチューニングを合わせるとき、外壁は厚い状態で、かつ存在感は薄く見えるから。多分これは師匠の側の防衛。外壁自体を薄くしちゃったら、「私の世界」の当事者になってしまうだろうし、それはまずい。

ところで、上に書いたのはあくまで私が判断するとき、視覚的なイメージを使うことが多いというだけで、他の人はまた別の感覚を使うのかもしれない。他の要素として感じられるのかもしれない。

それと、ある程度その人を知らないと、外壁がどの程度なのか判断することもできない。これは超能力じゃない。また、その人をよく知った上でも、間違えることも当然ある。

チューニングを合わせるはなし

私は他者の感覚に巻き込まれやすい。チューニングの感覚は知っていても、それを自在にオン/オフするスキルがない。また、しょっちゅう感覚が伝染するとか、妄想が伝染するとか、そういうことを言っているけど、これってチューニングとも関係する話じゃなかろうか。

人がコミュニケートするとき、基本的には言語を使うが、同時に言語外の部分も使う。外壁の存在感が薄い状態にあると、言語外の部分がすっと入ってくる。

私はこれに散々悩まされた時期がある。目の前の人が悲しい気持ちの時に、話を聞いてもいないのに、何故か自分の鼻筋のあたりがつーんとしてきたり。緊張している人がいると、筋肉がこわばって痛くなったり。鼻筋つーん程度ならよいのだが、筋肉が痛くなるのは参った。

だから激しい感情を持っている人と対峙するときには、外壁の存在感を濃いめにキープしてチューニングを外しておく方がよいのだが、最初に書いた通り、私はオン/オフのコントロールができないのよね。んんー、くまったくまった (ダジャレ脳

あ、今は外壁の存在感が以前よりだいぶ濃くなっているので、身体が反応することはありません。おまけに、どうやったら薄くできるのかよく分からなくなってきた。ちょっともったいない気もする。

突然だけど、合気道やってる人は、ある程度オン/オフのコントロールできるよねぇ。綺麗に入るときって、同期してない? そんなことない?

突然、空気読み力のはなし

関係ないけど最近「空気読み力」で検索してうちに迷い込む人多いっすね。君たちの求めているものはここにはないので下のリンク先に行きたまえ。
socioarc: 「空気読み力」の構成要素
socioarc | 空気読み力テスト αver.

チューニング能力は、空気読み力とも関連しているような気がするのよね。あくまで気がするだけだけど。人は空気を読んで、どのような行動が自分や場にとって有利な結果になるかを判断する。これは reading の文脈。

チューニングの場合は、reading じゃなくて feeling の文脈。身体までが同期するというのは、自他を仕切っている外壁の存在感を極限まで薄くして、忘我になるということではなかろうか。けども、完全に忘我になったら戻ってこれなくなっちゃうから、その分、外壁を分厚くすることで、命綱をしっかりキープしておかないといけない。

これも、以前に関連するような内容を書いていたな、そういえば。方法論として書いているから、表現の仕方や言葉の用法がだいぶ違うけどね。
Spherical-moss.net » 人に心を向けてはいけない
Spherical-moss.net » 人に心を向けるとき

セックスのはなし

で、なに?あなたセックスの話をしたいわけ?
(いやこれ、本気でそう思っているわけではないwww)

私は、セックスに身体は必要ないと思っている。いや、そりゃね、生殖のためのセックスなら身体は必要だろうよ。原理的にそういうものだからしかたない。

けども、相手を確認するためのセックス、コミュニケートするためのセックスには、身体は必要ない。むしろ身体邪魔。だから私は早く枯れて爺になりたいと何度も言ってる。こうなってくるとセックスって言う言葉は妥当じゃないな。目的は魂のコミュニケートだな。セックスは手段。

私は、言葉でコミュニケートするんじゃなくて、直接意識に触れられたらいいのに、おまえら私の意識に直接コンタクトしてこいって思っている。本当なら付随してあったはずの「感じ」の部分を全部削ぎ落としてしまった、象徴としての言葉って、本当に役に立たないって思っている。いいかげんこのあたりの障壁ってなんとかなりませんかね人間。

障壁が何とかなった例として。会話をしているときであっても、一瞬のアイコンタクトとかそういうもので、なにものにも代え難い、溶けあい、混じり合うような視覚イメージを感じることがある。すとん、と私が相手に入り込んだような、相手が私に入り込んだような感じを覚えることがある。相手の求めは私の求めになり、私の求めが相手の求めになる、そういう瞬間がある。何も言わなくとも「分かる」ときがある。

私はそういう瞬間を至上の喜びとするし、だからこそ、早く枯れて爺になりたい。

補足

書いてはみたけど全然まとまらねーわーw

あと、ここで私が書いた「チューニング」という言葉が、中井久夫氏のいう「チューニング・イン」と一致するものかどうかは分かりません。本人とすりあわせしない限り、永久に分からないと思う。ここで私の書いた「チューニング」という言葉は、あくまで師匠と私との間での共通理解としてのそれなので、そこんとこよろしこ。

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