このへんを読んでなんとなく思ったことをたらたらと。
あんまり考えて書いていないのでまとまってないです。
傷に限らず、他者に共感するとき、同様の経験を持っている必要はあるかという話。
同様の経験は、ないよりはある方が共感しやすいと思う。ただし、必ずしも必要とは思わないけどね。十分丁寧に話し合ってすりあわせることで、言葉や想像力である程度のところまでは補うことができるからだ。
痛みや傷の場合
痛みや傷という話に限定すると、話し手の側は、聞き手が同じ経験をしているという前提がある方が話しやすい。
例えば対人関係恐怖であったり、いじめの問題であったり、抱えているものが重くて辛い経験であるほど、語り手は、その経験が普遍的なものであるとされたり、安易な共感を示されたり、あっさりと「昔のことは忘れなさい」などと言われることを嫌う。
これには一種の被害者意識 (たいていは実際に被害者的立場であることが多いが) も入っており、極端な場合は、周囲が全員敵に見え、自分の体験が容易に受け容れられるわけがないと信じ込んでいる部分もある。そこで先に挙げたような態度を示されることは、話し手にとっては、彼の傷を、ひいては彼自身を全否定されたことと同義である場合もある。
多分その種の話し手は、そこに辿り着くまでに、何度もそういう経験をしているだろうから、聞き手を選ぶことに慎重になる。慎重になりすぎている場合もある。
そして多くの場合、聞き手に求められるものは、聞き手の共感が安易なものでないこと、聞き手が話し手を一切否定しないことではないか。しかし困ったことに、聞き手に回った人間は、お節介にも口を挟みたくなったり色々言いたくなったりするのである。したがって話し手の求めるような態度を聞き手が貫くには、ある程度を訓練を積み、聞くことに徹する必要がある。
このような聞き手を捜すのはなかなか大変であるが、唯一例外が存在し、その例外こそが話し手と同じ傷を抱える人間なのではないかと思う。そして、傷を持った人間は傷を持った人間同士で集まり、お互いに話し続けるのではないかと思う。
私は、ここから彼らが傷の克服に向かって動けるのは、彼らの同志の中から何らかのムーブメントが起こったときだけではないかと思う。外野が何を言っても、彼らには、彼らの傷を全く理解しようとしない無責任な人間たちが飛ばす、野次にしか見えないだろうから。
継続的に受け止めることの難しさ
以上に書いたように、同様の傷つきを抱える者同士は、最大の理解者になりうる。しかし同時に、同様の傷つきを抱える者が、その傷を継続的に受け止め続けることは難しいのではないかとも思う。
理由は単純で、同様の傷を抱える他者の話を聞くときに、自身の傷も想起され、辛くなったり苦しくなったりすることが容易に想像できるからだ。同様の経験を抱えるだけに、その辛さや苦しみは生々しくリアルに感じられるのではないか。それがストレスとなる度合いは、同様の傷を抱えていない人間よりも大きいのではないか。
自己の精神の平穏を保つことを前提にする場合、相手が求めるままに話を聞き続けることは可能だろうか? そんなの傷を抱えていない人間でも無理であるよ。想像力や共感性が高いほど痛みをリアルに感じてしまって苦しくなる。苦しいことは、精神の平穏を害する。
その傷について語っているとき、気持ちが昂って泣き叫びそうになったことがないだろうか? もう嫌だという感情に振り回されて、一緒に自爆しそうになったことがないだろうか? 私はあります。努めて冷静にならないと、正直しんどいと感じることの方が多い。
だから、継続的に支え合うことを考えると、同種の傷を抱えた人間同士で対話を続けるよりは、同種の傷を抱えていない人間に寄りかかる方が継続性はあるような気がする。
最初に書いたように、この人たちに深い共感を求めるのは難しいというジレンマも存在するんだけどさ。
だけど覚えておいた方がいいと思うのは、
他人の話を冷静に聞いていられるのは、それが他人事だから。
決して自分には降りかかってこないからこそ、継続的に聞いていられる。
追記
あとで自分で読み返して思ったのだが、文中で使用している言葉が微妙にネガティブ要素を含んでいたり、きつい印象を与えることが多そうだ。
そのへんのネガティブ要素は自分自身のそのような側面に対する憎悪的のようなものが無意識に反映された結果であり、決して傷を抱えた語り手を腐す意図はないことを追記しておく。
Comments:4
- 元・品管 07-11-05 (月) 11:40
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こんにちは。
傷をおった神経質になっている人の話を一般的な人はやっぱり同じような経験をしていなければ理解しにくいでしょうね。
他人事として起きた物事を話し手の話の中か経緯を辿るだけで、それだけでは話し手の感情部分は理解出来ないでしょうね。
だからこそ、話し手がどうしてそんなに神経質になっているのかが理解出来ず、話し手が求めるような態度は取れない。気持ちが解らないから。その点、同じような経験をした事がある人なら、話し手の話を聞くだけで自分の中の経験から話し手が感じたであろう似たような感情を想像する事が簡単に出来る。
そして共感して、自分の経験から立ち直った一例なんかをあげられるかも知れない。鍛錬を積んだ人なら経験が無くともそんな事が出来るのかも知れないけど、相当出来た人間じゃないと難しい気がする。そんな人ってそういるのだろうか?
私はあまり出会ったことが無いです。なんか、勝手に長々と自分が思った事を書いてしまいました。
ごめんなさいn(。。)n話は変わりますが、ただいま就活中です(^^)
書き込みはしてませんでしたが、このブログはちょくちょく読ませて頂いてます。 - TsumuRi 07-11-05 (月) 22:18
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就職活動お疲れさまです。
そうですね、同じような経験がない場合、深い部分まで共感することは難しいでしょうね。人とコミュニケーションするときにいつも思うことですが、自分と相手は違う人間であることをつい忘れてしまいがちですし。
特に、神経質になっている人は、そのあたり敏感であると思います。
傷つきを打ち明ける人は、目の前の相手に解決策を求めてはいないと思うんです。それよりも、自分がその傷を負ったことで、孤独に陥っていないかを確認したいだけではないかと。あくまでも私の経験に基づく個人的な見解に過ぎませんが。同様の傷を抱えていなくとも深く共感するのは、誰にとっても難しいことだと思います。訓練を積んだ人でも難しいことかも知れません。ただ、分かり合うために人は言葉を尽くしますし、なんとか相手の傍に立とうと努力するのではないかと思います。私自身がそうされて救われたように、私も誰かのそういう存在になれればなぁ……と思います。
- 元・品管 07-11-06 (火) 9:49
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おはようございます(^^)
なるほど。
確かにまずは仲間を探しますね。
同じような人(仲間)はいないだろうか?と探したくなりますね。
そういう人に出会うと安心する。私の身近な人間は深く共感・理解する事に努力しようとする人は少ないです。
ただただ、発破をかけるだけ。
理解をしようとする気持ちは無い、深く考える事が嫌いなようです・・・。(ーー;)TsumuRi さんは素適な考えをお持ちの方ですね☆
私もそうありたいと思います。 - TsumuRi 07-11-06 (火) 23:06
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共通点があると、入りやすいというのもありますしね。
発破をかけるタイプの人は、相手に共感したり受容したりよりも、まず自己主張ありきなのではないかと思います。
自分が人の話を聞き、受け容れる側に立ってみると、自己主張できないのは辛い場合もあります。解決策は見えているのに、相手にそれを伝えられなかったりするのはもどかしいと感じます。ただ、他の記事に書きましたが、相手が受け止められないものを相手に与えるのは、自分勝手な部分もあると考えています。
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