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小説について

Twitter でちょっと話題になっていたので徒然と書いてみる。

私は高校時代、掛け持ち部員ではあったが文芸部にいたこともあり、小説を読んだ経験も、少ないながらも書いた経験もある。その少ない経験から少し語るよ。

こんな言い方をしてしまっては身も蓋もないのだが、小説を書く理由も読む理由も、ともに世界 (もしくは世界観) という壮大な妄想を共有するところにあると思う。

筆者として

特にフィクションの場合、筆者の描く世界には、彼の世界観がダイレクトに出る。意図的に本人の持つ世界観に手を入れたところで、本来の世界観はどこかで出てしまうと思う。

また、筆者が、その物語に埋め込むメッセージという問題がある。それは彼の夢であったり、希望であったり、時には絶望であったりする。

筆者は、世界という妄想を描き、そのフィールドに彼自身のメッセージを載せる。そのメッセージは、筆者の直接的な言葉で語られることはほとんどなく、たいていの場合、作中人物の言葉や、物語の大きな文脈として描かれる。

したがって、読者によっては、筆者のメッセージに気づかない場合もあるだろう。しかし筆者としては、その世界が世に出た時点で、彼の目的を終えているわけだから、特に問題にもならないだろう。

読者として

なんのために小説を読むか。

そう考えたとき、例えば時間を潰すとか、筆者の作品が好きだからとか、様々な理由が出てくると思うが、いずれの場合も読者は筆者の妄想を取り込もうとしている。

取り込んだ結果が単なる消費に終わるか、彼の中で咀嚼され彼の思想の血肉となるかは読者次第である。

いずれにしろ、読者は、筆者の描く世界という妄想を必要としている。

読者は、筆者の描いた世界という妄想を、読者の文脈で解釈し、共感できる部分は受け入れ、共感できない部分には、違和感や引っかかりを覚える。

また、筆者が物語に埋めたメッセージを探そうとする読者もいるだろう。しかし筆者が埋めたメッセージと、読者が発掘したメッセージが同一である保証はない。そうであっても、読者は物語に触れることでで何らかのメッセージを必ず受け取っているし、それにより読者の目的は完結する。

個人的には、国語のテストで小説の意図を問うのはナンセンスだと思う。小説の意図など筆者にしか分からないし、読者側の解釈など百人百様だからだ。模範解答が筆者的な正解である保証は、筆者が模範解答を作成しない限りあり得ない。文章の意図を問うのは論説文だけにして下さい>教育委員会

私的読み方

筆者が埋めたメッセージと、読者が発掘したメッセージが同一でなくても、読者の目的は完結するという点について、補足のようなもの。

私が読者となる場合、物語上で再生された感覚から、自己の内面を掘り下げていくことが多い。何故共感したのか、何故違和感を覚えたのか、何故引っかかったのか。そこを突き詰める。

解釈するのも私なら、解釈されるのも私である。こういう場合、私が読んでいるのは、物語自体ではなく、物語に投影された「私」である。

そして、物語に投影された「私」を回収することで、私の読書の目的は果たされる。筆者の意図には全く関わりなく、だ。

私のようなタイプの読書をする読者にとっては、筆者の描く妄想は、「我」を展開するフィールドとなり、小説の好き嫌いは、そのフィールドが「我」を展開するために適しているか否かになるのではないか、と思ったりする。

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