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自分が気持ちよくなりたいだけの人

リンク先を読んで、全力で「あるあるあるある!」と頷いたら首が痛くなった。特にひとつめのリンクの余談の部分に笑っちゃうほど同意。

共感と痛みについて – うどんこ天気
痛みと共感の続き・主体性を尊重すること – うどんこ天気

これは過去に接点があった人に対しての愚痴に近いものがあるので、そういうの嫌いな人はスルーして下さい。

私の立場を最初に表明しておくと、色々こじらせて俗に言うメンヘラになったため、援助もしくは介入される側の当事者と言えばいいのだろうか。現在もてんぱってるときはそれらを受ける側になりやすい。受ける側のやつがえらそうに言うなボケと思う人もいるだろうけども、結果として害になるような介入はされたくないというのが本音です。


割とタチが悪いのが「親切な私が好き」タイプの人。さらに自他の分離ができていない人なんかは最悪。これらが合わさったら、毒親タイプになるとでも言うべきかもしれない。ちょっとそういう人について書いてみますよ。私が見た数例の話なんだけど。

しかし、これが酷くなると「共感してやったのに何で感謝(問題を解決)しない(できない)のよ!」みたいになると、わけが解りません。強制されるいわれは無いですよね。正直、専門の教育(福祉)を受けている身からしたら、そんな押し付けがましい素人問題介入カウンセラー気取りで、人に感謝(必要に)されたい!人の役に立った気持ちになりたい!と言う欲求を他人(の問題)を使って解消するくらいなら、害がある上に迷惑なので止めろバカ、と積極的に思っています。
共感と痛みについて – うどんこ天気

つまり上記に引用したような態度を取る人のことなんだけど、これはもうタチが悪いって言うか、ほっとけよバカ!それ以前におまえの問題何とかしろバカ!今すぐ帰れ!という感じでした。

実際、過去にそういうのがいたんだけど、おまえ俺をダシにして自分の好きなことを語って、自分が気持ちよくなりたいだけだろ、と思った。これだけならまだいいです。こっちが大人になればスルーできるから。1


また、アドバイスしたことをすぐに実践できないからといって、自分がないがしろにされたという被害妄想に陥るのも勘弁して欲しい。被害妄想に陥るだけならまだしも、悲しみや怒りを顕わにしてこちらにぶつけられたのでは、こっちの精神状態が悪くなるだけであり、迷惑極まりないのであるよ!

特に、当事者が自覚していなかった部分に言及したとき、それを咀嚼して理解するまでにはものすごい時間がかかる。しかもそういうのを受け入れるには、苦痛が伴う場合もあり、簡単には受け入れられなかったりもする。だからそれを改善して実践するというのにも、ものすごく時間がかかるわけであり、すぐに結果が出ないと言われても困るのだよ。

当事者がいちばん困っているので、それ以上追い立てるなと言いたい。頼むからポジティブなレスポンスは期待しないでくれと。だいいち、なんであんたが勝手に手を出してきているのに、こっちがポジティブなレスポンスを返すことが当然であるかのように思いこめるんだあんたは!

気にかけてくれること自体は嬉しいんですよもちろん。しかし私はあんたじゃないし、あんたの所有物でもペットでもないわけで。当然あんたの思う通りに行動することなんてできないし、したくもないし、ま、そんな感じ。


あと、なんでもかんでも手出しする人は、正直どう扱っていいのか分からなかった。手出ししないとどう見てもまずいとか、当事者が動けないから代わりにする、というのなら分かるのだけども、当事者にはそれをやれるだけの能力があるのに、先回りしてやってしまう人。

当事者がたいへんそうだから代わりに、という親切心なんだろうけども、自分でできるのに勝手に先回りされたのでは、暗に「おまえは何もできないからやってあげるんだよ」と言われているようでこれもまたへこむわけで。被害妄想がかなり入ってるのは自覚しているけど、それでもへこむのだよ!

それに、何でもやってくれてたら甘えて何にもしなくなるよ。俺、ものぐさだもん。正直、自分はこのまま人に甘やかされるばっかりで何にもできなくなるんじゃぁ……って恐怖感さえありましたよその頃。


……で。

そういう人と関わると、不快感を覚えたり、甘えてしまって自分がますますダメになるような気がしたので、その種の人とは積極的に距離をおくようにした。

しかし陰で「私を頼ってくれないのはなんか嫌」みたいなことを言われていたのをあとで知った。もう本当に意味がわからんというか、そういう人たちは、私を自力では何にもできない人にしたかったのだろうか、と穿った見方をせざるを得ない。いまだに思い出すとむかつきます。2


さっきからさんざんワガママなことばかり書いているけども、実際本音です。

自分自身、人のために何かするときは、そりゃポジティブなリアクションが返ってきた方が嬉しい。笑ってくれたり、感謝される方が気持ちいいに決まっている。人に何かしてあげた3 という自己満足だけではなく、相手から承認・肯定されたという喜びも得ることができる。だから、私に介入しようとして、大きなお世話を焼きすぎた人たちの気持ちも分からないではない。

が、彼らが気持ちよくなるために私を踏み台にするのは違う。

それに、私は彼ら自身でも、彼らの所有物でも、彼らの操り人形でも、彼らのペットでもない。人のために何かしたいと思うなら、まず適切な距離感を身につけて欲しいと思う。これは私自身にも言えることだけど、他者に過剰に期待しないというのはかなり難しい。4

で、自分が当事者になって微妙な気持ちになったこともある私としては、人に介入を求められたらそれなりのことはしたいけども、相手にとって害にならないラインがどこか、自分に過剰な負担がかからないラインはどこか、必死になって探すと思うよ。5 一般人が経験する、介入や援助の経験で最も大きなものは家族関係で、それはあまりに当たり前のこととして捉えられているだろうけど、この時点で相当に悩むと思う。

家族内に問題が起こったとき……家族が障害を持ったり、精神を病んでしまったり、介護が必要になったときは、正直なところ、専門知識も経験もある専門家に丸投げしちまうのがいちばんと思っている。過去の自分自身を省みると、ただの人の手には負えないと思うし。

余談:介入する動機ってなんだろう

どうして人に介入したり親切にしたいのかを突き詰めると、結局、何か見返りをえられるから、というところに行きつく。

人のために何かできることで自己肯定したり、感謝されることでさらに自分を肯定したり。こういう精神的な見返りが全くない場合、介入したり親切にする労力 (コスト) を払うのは、馬鹿馬鹿しい。6

いいえそんなことはありません、私は100%善意でやってます、っていう人がいれば見てみたいと思うけど、やっぱりそこには自己肯定という見返りがあるはずで、全く見返りが得られなかったら、嫌になって止めてしまうのではないかと思うのだが、どうだろう。

仕事として人への介入をしている人の場合、当事者がいくら不遜でも攻撃的でも感謝がなくても、自己肯定とお金という見返りがあるから続けてられるんだろうなぁ。それでも、あまりに精神的・肉体的な負担が大きすぎて、見返りが釣り合わなくなったら止める人もいる。

これらが偽善だとか批判する気はまったくなく、見返りを得られるから続けるという方が、健全で親しみが持てる考え方だなぁと思っている。逆に、見返りなんていらない、善のために行動するんだ!などと、自分の欲求の部分に蓋をして見ないふりをしている人には、危なっかしさを感じる。

Footnotes

行頭の数字は本文中の注釈番号に対応さしてます。

  1. 自分のことでいっぱいいっぱいなのに何故スルー力を発揮することまで求められるんだ、とは思う。 Back
  2. このむかつきは、自分自身が過去に受容の無限地獄に陥ったことがあるために、半ば被害妄想的に、利用されたと思いこんでいる可能性もある。完全に相手のせいではないのかもしれない。多分どちらかだけの問題ではなく、二者関係の問題なのでしょう。が、むかつくものはむかつく。 Back
  3. 穿った見方をすれば、これってプチ優越感ゲームだよね…… Back
  4. 日本人は文化的に、我と彼の分離があまりできていないという話をどこかで聞いたような気がする。 Back
  5. このあたりはこのブログの人間関係というカテゴリに、書きすぎなくらいにいろいろ書いている。 Back
  6. 自分で書いて、この表現はそうとう酷いとは思うけど、平たく言えばこうなってしまうのでどうしようもない。 Back

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