少し前に北極ネトラジを聴いた関連。直後、自分用メモとして書いてたのが、もう少しハッキリした形で像を結んできたので、まとめようと思って書いた。途中までは別のところに書いてた分の再掲です。
自分斬りをしすぎて少し痛い orz
ざっくり自分用まとめ (再掲)
よく訓練されたしゃべり方ですね(マジで喋りがうまい
- ばっさり斬ってるわりに斬られた方のダメージはあまりないというかその斬り方気持ちいいからもっと斬っちゃってよ的な印象。
- 螺旋状に餌を撒いて自身の思考の流れに他人を巻き込んじゃう部分とか
- 【ToDo】ぱくったら実生活で得できそうな予感なのでぱくる。
- なるほどそういう姿勢(身体的状態の意)で喋る人なんだなーなるほどなるほど。
- 私のなるほどなるほどーが事実を正しく捉えているかは謎。「声」っていう一面を切り取ったに過ぎないからなー…。天然でやってはるのか作った結果なのかは誰にも分からない。
- つまり、なるほどもふもふしているな、と思った
小ネタがやたらおもしろかったw
- てゆか「言及しましたね!」が出てきたのにふいたwww
おもしろかったけどアザラシ涙目www
- 見た目は脱ヲタしてるのに、精神的に脱オタしてない人をバッサリやりまくっていたが俺のことかうわーんヽ(`Д´)ノ
- ファッション尖鋭化について:オタクっぽい人本人が劣等感や葛藤を感じていないのに、そこから外見だけ脱オタさせようと企むのは新たな葛藤や劣等感の種を蒔くことになりかねないのでやめましょう。
- というか、己の中にある「脱オタしきれてない意識」から生まれるコンプレックス的なものを「自分ではない」相手に勝手に投影してイライラしてるんだから、その心性はあまり良くない。
- 極論すれば一緒にいる人さえも、己の脱オタの道具として捉えているとも言えるわけでそれはどうなんだよと。
- こういう形で脱オタをこじらせてるオタ夫婦って他にもいそう。
「オタクを自認している人」と「オタクを自認してない人」では後者の方が楽
- オタ意識がない分、純粋にコンテンツの消費に没頭できる
- オタクであることがアイデンティティの一部になってたらめんどくさい。one of 趣味であればとてもラクチン。
- このへん「どうして私はオタクになったか」を軸に掘り下げてったらなんとなく見えてきた
- 「オタクを自認していない人」にさっくりとなれたら楽なのだろうが、己が「オタクを自認している人」である以上それはありえないのでこの位置でもがく。
- もがきまくった果てにいつの間にか拘りが取れて「オタクを自認していない人」側にシフトするのではないかと期待。
ただの概念や理念ではなく実践であること
- シロクマ氏のブログを継続的に読むようになった理由が「人生をラクチンに生きられるこころのあり方を模索している」という印象を抱いたからであり、ラジオ経由で「脱オタは手段であり目的ではない」という姿勢が「声」で聞けたのでニヤリとしたのであった。
(以上、別のところで書いてた分の再掲)
私の場合
「オタクを自認している人」と「オタクを自認してない人」では後者の方が楽と記載しているが、以降、この部分について考察してみた。ちなみに「オタクを自認している人」が私であり、「オタクを自認してない人」はダンナである。
私の観察によれば、私よりダンナの方がオタク度が高い。
と言いつつ、ふたりともオタクとしては全然ぬるいレベルである。1
というか、私はすでにオタクからは足抜けしているつもりなのだ。
私(オタク自認あり)
- 地方の即売会に行ってた(今は行ってない
- 絵を描くのが好き(雑誌に投稿してた(今はしてない
- ネットに貼り付いている(多分ネットオタク
- ファッションはふつう(と思う
- アニメ、ゲーム、マンガは普通程度に嗜む(普通ってなんだ
ダンナ(オタク自認なし)
- アニメDVDを週に10本とか借りてくる(借りすぎ
- ゲームは必ずやりこむ(レベル上げすぎ
- やたらにゲーム機を欲しがる(揃えすぎ
- ネットはそこそこやる(ネットのコンテンツを放り投げたら食いつく
- パソコンショップ大好き(日本橋とか大好きらしい
- 電化製品大好き(しょうもないものを無駄に欲しがる
- ジャズのCDをやたらにため込んでいる(何枚あるんだ…
- ファッションに興味がないらしい(もっとちゃんとしろ
どう見ても私よりダンナの方がオタクっぽいのだが、自分がオタクっぽいことに頭を悩ませているのはもっぱら私であり、ダンナは自分をオタクだとはまったく思っていない。私が「あんたの趣味いちいちオタクくさい」と言ったら「普通やろこれは」と返ってくる。たいへん幸せそうでよろしいのだが、あまりに幸せそうなので腹が立つ(ただの嫉妬で逆恨みです orz)
追記:12/15にこれを見たダンナが「いや、おれ一応オタク自認あるよ」と言ってきた。ほう、と思って聞いてみたら「でも別にどーでもいいから言わないだけwww」「楽しかったらそれでいいヽ(´ー`)ノ」とか言いやがった。おまへ俺がそれで頭抱えてるの知っててそういうことを言うかあぁぁぁ!でもここまでさくっと言われたらなんかもう頭抱えてるのが馬鹿馬鹿しくなてきた…… orz。あとね、言及してしまうのは執着があるから、てのはある意味真実だと思った。どうでもよいことは、別に言おうとも思わないらしいから。
オタクには二種類あるような気がする
私はしんどくて、ダンナは幸せそうな理由を考えてみて、成立過程が違うことに気づいた。成立過程に基づいて分類すると、オタクには「熱狂型」と「逃避型」の二種類いると思う。
- 熱狂型:単純に興味の方向がオタク趣味だった。純粋にはまりこんでいる幸せなタイプ。ダンナ。
- 逃避型:現実に辛いと感じることが多く、辛さや葛藤の解消手段としてオタク趣味に逃げ込んだ。オタクであることに妙に拘っていたりする。私。
実際の成立過程はいくつもが重なっていると思うし、ここからここまでがどっち、と分類できるモノでもないので、スペクトル状に描いてこんな感じになると思う。ダンナは熱狂型の極に近い方にいて、私は逃避型の極に近い方にいる。

私は、シロクマ氏が扱っているのは、主に逃避型オタクの問題だと思っている。私自身は逃避型に該当しているので、以下自己分析。
逃避型オタクの成立経路
現在に至るまでの辛い経験や葛藤の例としては、ヒエラルキーの下の方に位置していたとか、そんな感じの経験が挙げられる。子どもというのは残酷で、運動のできない人間、勉強のできない人間、身体能力の劣る人間、イケメン以外、等々、何かと理由をつけて人をヒエラルキーの下に放り込みたがる (能力的にはアドバンテージのある人間が、嫉妬や逆恨みによりヒエラルキーの下に放り込まれる事態もある)。最底辺の人間はいじめのターゲットにされる場合もある。
その他、子ども同士の力関係だけではなく、親や教師との力関係において問題が発生していた場合や、自分の能力や存在の強さのようなものをひっくり返されるような体験も、辛さや強い葛藤の原因となる。
こういう辛さを、とりあえず和らげるための手段としてオタク趣味を選んだのが逃避型オタク。よくある話で「日常が辛くて仕方ないけど、趣味に没頭している間だけは忘れられる」というあのパターン。
また、これらの辛い経験や不遇な扱いにより、自己評価がとても低くなり、自分に自信を持てない状態が恒常化してしまう。 結果、誰かに褒められても嘘じゃないかと勘ぐるようになったり、はたから見たらよい成果を上げていてもなんだかんだ欠点を見つけ、自分はダメだと貶めるようになったりする。劣等感の塊状態である。2
なんだか書いていて心が痛くなってきました。・゚・(ノД`)・゚・。
でね、こういう状態ってすごい辛いんですよ。誰かのせいにしたくても誰もなんとかしてくれないし、自分のせいにもしたくないし、さあどうしようという膠着状態に陥る。
膠着状態を解消するために手っ取り早い手段は、自分についているレッテルに責任転嫁すること。責任転嫁の対象は、オタクであったり、性別だったり、顔の造作であったり、属している集団であったり、マイノリティ側に属し不遇な扱いを受けやすいレッテルであればなんでもよい。そして、自分自身をそのレッテルの被害者という位置3 におき、レッテルや、レッテルを利用して自分に不遇を強いる他者 (主にマジョリティ側)4 を憎むことで自分を保つ。
責任転嫁の対象がオタク趣味に向いた場合、「オタクだから、ダメなんだ」という思考が成立する。こうなったとき、根底にあった自己評価の問題は、忘れ去られているか、分かっていても見ないふりをしているかになっている。
そして脱オタの道へ
「オタクだから、ダメなんだ」で終わりたくない人は、そこから脱しようと努力する。「オタクだからしんどい → オタクじゃなくなったら楽になる」いう発想に基づく努力である。
しかし、しんどいのはオタクレッテルのせいではなく、逃避行動としてオタク趣味を選択する前に獲得してしまった「自己評価の低さ」のせいなのだから、いくら脱オタの努力をしても心の中にはブリザードが吹き荒れたままとか。
脱オタの過程として、ファッションを小綺麗にして自分を演出しまくって、対人関係でもいろいろ頑張って「友達に好かれる自分」像を作り上げ、仕事でもそれなりに上手くやって、彼氏彼女を作ってみても、結婚しても、あいかわらず心の中は劣等感に苛まれ続けていたりとか、これがまさに逃避型オタクである私の問題です。うわーん書いてて心が痛くなってきたよーヽ(`Д´)ノ
……自分を斬るから心が痛いのです。あほですか私は。
オタクのままでOKじゃないすか?
ここまで、私は、逃避型オタクがしんどい原因は、その形成過程にあると書いている。だとしたら現時点では努力しても無駄なのかと、挽回しようがないのかと思われるかもしれないけど、それは違う。確かに、過去の出来事や経験は変えられないが、それらの持つ意味や重さ、解釈は今からでも変えることができる。
それはシロクマ氏の言うところの「承認」の作用だと思うし、氏の言う脱オタの目的は、つきつめていけば、自分で自分を承認してやれるようになることではないだろうか。仮に他者から承認を受けることがなくとも、己を承認し、強かに生きていく心のありようを獲得することがその先にあるものではないだろうか。
で、私は思うのだが。
その部分さえクリアできるなら、もう脱オタなんてしなくてよろしい。強い劣等感に苛まれることはじょじょに減っていくはずでしょう。無理に自分の好きなものを捨てたり隠したり、我慢したりする必要なんてどこにありますか。幸せな熱狂型オタクとして余生を楽しめばよいのですよヽ(´ー`)ノ
ま、わかっててもなかなかうまくいかないからこんなところで長文書いてるんですけどね。
補足
承認欲求をどのようにハンドリングしていくか、承認を得るには具体的にどうするか、という話を全く書いていないけど、私の中ではまだ自分用にカスタマイズした最適解が見つかっていないので書きようがない。このへんは長いこと脱オタについて考察してきた方々が、独自の論を展開しているので、そちらを参照されたし。
途中でチラと書いたけど、これはオタクの自意識の問題だけではなく、抑圧感を感じやすい心の傾向全体についての話でもある (ex. 性別、顔の造作、属している集団等)。
Footnotes
- オタク度:消費型オタク<<制作型オタク<<オタク論型オタク。消費型、制作型の中にもはまり具合によりかなりのレベル差があるような気がする。我々は消費型オタクの入り口にいるので、かなりぬるい。 Back
- 極端なところまで行くとこんな感じになってしまうと思うけど、ここまでいくとメンヘラの心性になってしまって話から逸脱しそうなので保留。だけど延長線上にある問題だとは思う。 Back
- そのレッテルがあるせいで自分は不遇な目に遭う、差別される、いつまでたっても幸せになれない、的な立ち位置 Back
- 実際にはマジョリティ側は不遇を強いてはいるわけではなく、いろいろな要因が組み合わさった結果、私が勝手に不遇感を感じているのだが、被害者という位置に自分をおいてしまっているので、不遇を強いる他者の存在を感じてしまうのである。早い話が仮想敵を勝手に作っている。 Back
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