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敬語と様と距離感と。

そういえば敬語ってどこか距離を感じる。
多分、それが「患者様」に感じる違和感なのだろう。

なぜ敬語というものが発生したのか、歴史的な経緯は知らない。

敬語の態度は、相手から何歩か下がることだ、と思っている。高さで言うなら自分が一段下。距離で言うなら部屋の端と端。そうやって、あえて距離を詰めないことで「近づきがたい存在」「己より上の存在」ということを態度で示すような。

多分パーソナルスペースの問題。相手が距離を詰めていいと許可するまでは、こちらからは詰めない。それが敬語の態度のような気がする。

で、初対面の人。自分にとってどういう位置に置いていいのか分からない。相手もきっと、どういう位置に置いていいか分からない。だからとりあえず敬語から始める。そこから間合いのさぐり合いをして、ある程度お互いのことが分かったときには距離も、それに伴って言葉遣いもある程度決まる。

そうやって、探り合いの結果決まった間合いは心地いい。人として見られ、扱われている感じがあるからだと思う。こういう場合は、敬語でも、逆に砕けた言葉遣いでも、とても居心地がいい。

それに対して、相手が誰であってもとにかく一律敬語というのはあまりにも居心地が悪い。

それはまるで「あなたとは間合いの探り合いはしません」「無限遠の距離を取るので、これ以上詰めてこないでください」と、ぴしゃっと断られてしまったようで。一方的に背中を向けられてしまったようで。

機械的に業務をこなす態度としては正しいと思う。書類を捌くだけ、業務をこなすだけの機械としては、ね。だけどそれは、人間としてはとても冷たい態度のような気がして、あまりにも淋しい。極端な言い方をすると、人間扱いされていないような気分。

距離を無限遠に設定され、それが不動のものと一方的に決定されることで、人と人の間で個別に結ばれる人間関係というものは消滅し、お互い遠い距離にある立場 vs 立場の、対立構造的なものを見るような気がする。

病院の例だと、病院 vs 患者、そしてこのふたつの立場の距離はお互い遠い。それは、「たまたま病院で業務をしているあなた」と「たまたまそこの病院に患者として来た私」の1対1の人間関係という風には感じにくい。

対立する立場を背負った者同士となると、こじれたときは徹底的にややこしいことになる。お互い、立場から発生する大義名分を抱えているから、退くことができなくなるから。間合いの探り合いをした後の人間同士だと、そこまでにはならないのではないか。乱暴に言うと、情や関係性でなぁなぁにしてしまえる場合があるというか。あ、脱線した。元に戻る。

私は、集合の構成要素としては見られたくないのだと思う。それで、一律「様」扱いに違和感を感じるのだと思う。いろいろな人がいて、それぞれが固有の距離感を持っているから、各人が心地よいと感じる間合いを取って欲しいはずだと考えている。

個別に間合いを探った後で、改めて距離を設定する態度というのは、相手と交渉することであり、相手を人間扱いすることであり、なんだろね、そうすることが、結局相手を尊重することになったり、敬意の表明になったりするんじゃないかなぁ。

…まぁ、無茶な願いだとは思うのだけどもね。

個別対応する労力は相当のものだと思うし、そんなところで感情労働してすり減るくらいなら、一律の扱いをして無難なところに着地させておくというのも分からないでもない。

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