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承認欲求の根っことTwitter

Twitterと承認欲求の関係みたいなのを前に書こうと思って忘れていたのを思いだしたので忘れないうちに書く。

個人的な印象なのだけど、能力を人に認められても満たされなかったり、好意的な人を信頼することができない人は、承認欲求よりも低次な欲求を満たすことにつまづいているんではないかと思う。

これも実体験から。

承認欲求?

最近Webで、承認欲求という言葉をたまに見かけるのだけど、語り手による意味の振れ幅が大きいように見える。Aの言うところの承認欲求と、Bの言うところの承認欲求の指す内容に違いが見られたりとか。

まぁそれはあんまり関係ない話なので、横においといて。

欲求の話でよく引っぱってこられるのがマズローの欲求階層説で。ざっくりリストで書くとこんな風。上の方が高次な欲求ね。

  • 自己実現の欲求(達成の欲求、自律の欲求などを含む)
  • 承認の欲求、自尊の欲求
  • 愛情の欲求、所属の欲求
  • 安全の欲求、安定の欲求
  • 生理的欲求

よくWebで見るのが承認欲求。むちゃくちゃ乱暴にまとめると、誰かに認められたいとか、賞賛されたいとかいう気持ち。1

どれだけ賞賛されても、能力を認められても、決して満たされない人というのは、いる。認められれば認められるほど、もっと上に行かなくてはダメだという強迫観念に陥る。実力をさらに伸ばして、さらに認められても、それでも自己肯定をできない。コミュニティに必要とされ、認められていても、居場所がないと感じる。

承認欲求以前の問題ではないか

ごく個人的な体験から言えば、この種の人の中には、承認欲求以前のもっと低次な欲求が満たされていない人がいると思う。愛情、所属、安全、安定。もっと感覚的な言葉で表現するなら、「世界2 は私を受け入れてくれている」「私はこの世界にいていい」「誰かが私を見てくれている」「世界は私にとって安全である」「世界 (他者) は私を見捨てない」「世界 (他者) は私を裏切ることはない」という感覚。繋がっている感。これらが満たされていない。

この感覚には交換条件が存在しない。最初の「世界は私を受け入れてくれている」の場合、「私が○○を提供するから、世界 (他者) が受け入れてくれている」ではなくて、「私が何かを提供するしないに関わらず、世界は無条件で私を受け入れてくれている」の感覚。3

以上に挙げた感覚が十分に育ち、満たされていないと、能力を認められ、賞賛されても、居場所がないと感じる。何故なら、こういう感覚が育っていない場合、交換条件で考える傾向が強くなるから。例えば「私が○○を提供するから、世界 (他者) が受け入れてくれている」と考えてしまう。自信を喪失するような出来事に出会った場合「私が○○を提供できなければ、世界 (他者) は私を受け入れてくれない」という思考に走る。「受け入れてもらえない」という想像は恐怖で、それが「努力を止めてはいけない」「失敗してはいけない」「上に行かなくてはいけない」という強迫観念を生む。

このへんの感覚をなんとなくつかみかけた頃に、アドラー心理学トーキングセミナーを読んだ。私が必死でつかんだものは、全部ざくっと説明されていた。なんだ、もう知っている先人がいたのかと思って大笑いした。読みやすい本なのでおすすめです。

スキル的な努力をしてもどうしようもない

自分自身の経験を省みて、思うのは、努力では居場所は見つからないということ。それよりも、人に受け入れられるという経験を繰り返すことの方が効果があったような気がする。必死になって探せば、交換条件なしで、そのままの自分がなんとなくそこにいていいという場所は見つかる。そこでしばらくのほほんとしているうちに、なんとなく「あれ、案外受け入れられているか?」と思うようになるかもしれない。それでも時間は相当かかるから、気長に。

居場所探しとTwitter

そういう場所はWebだとわりと見つけやすいかな。最初にTwitterの例を挙げたけれど、あそこはなんとなくそこにいていいという空気がある。そういう空気のある場所を、自分で構築していく感じかな。follow と remove を繰り返して、自分がここにいていいんだと思える空間を作る。仲良さそうにしている人たちを見るのが辛かったら、@メッセージを使う頻度が低い人だけ follow したらいい。誰からも@メッセージがなかったとしても、無言の誰かが、そこに人がいることを見てくれている。そういう、いい空気のある空間を、最初の居場所にする。

そこを拠点にして、「いていいんだ」という感覚をまとって、Webの外、現実の世界に出て行く。現実の世界で傷ついたら、戻ってきたらいい。「自分はいていいんだ」という感覚を取り戻したら、また出ていけばいい。現実の世界でずっと「自分はいていいんだ」と思えるようになったら、そのまま外に出て行けばいい。誰かは引き留めるかもしれないし、誰も引き留めないかもしれない。いずれにしろ、そこが居ていい場所であることには変わりない。戻ってきてもいい。戻ってこなくてもいい。そこは人を受け入れる。

Twitterは「居ていい場所」の最初のとっかかりにするには、使いやすい場所ではないかと思う。中には攻撃的な人もいるし、悪影響のある人もいるけど、そういう人をシステム的に弾くことは可能4 だから。

忘れてはいけないことがひとつある。Webだけじゃ人間は生きていけないんだよね。生活するのは現実の世界だから、現実に根っこを張ることだけは忘れちゃいけない。

僕はあいかわらず競争が絡むとダメなんだけどね

と、まぁあたかも「自分はそのへん満たされていますよ」「世界は僕を受けいれてくれているんですよ」と悟りきっちゃったように書いていますが、元々が、世界と繋がっているという感覚を育て損なった人で、それを身につけはじめてからまだそんなに時間が経っているわけでもない5 ので、条件がきつくなるとダメになります。

具体的には、私の場合、なんらかの競争意識がはたらくとダメです。例えば学校や会社などで、能力を問うたり、能力を比較されたり、成果を求められたりする場所では「能力がなければここから排除される」「成果を出せなければここから排除される」という強迫観念6 がむくむくと沸いてきて、精神的に辛くなってしまいますね。私の、社会への適応に関する最大のハードルですな。

その他の、利害関係のない集団については、不信感や脅威をあまり感じなくなったので、そのへんだけは確実に変わったと思います。

Footnotes

  1. 下位承認とかいうのがあるらしいがコレについて考え始めると超ややこしくなるので触れない Back
  2. 世界と表現すると対象が大きすぎる気がするが、要は自分を取り巻く集団。例えば家族、友人、職場、地域、趣味のサークル、等々。対象はあらゆる集団とそこにいる人。 Back
  3. 交換条件が存在しないと書いたけど、ひとつだけ条件があるな。「他人を加害しない」これは物理的加害、精神的加害、両方を含む。これは他の人の安全の欲求に反するから。これをやる人が内部にいると、本人だけではなく周りを巻き込んで崩壊する危険がある。その場合、他人に害を与える人を排除せざるを得ない。 Back
  4. protect と block Back
  5. だいたい一年くらい前に、急に繋がっている感が生えてきた Back
  6. 「このコミュニティは私の居場所だ、だから頑張ろう」失敗したとしても「結果はどうあれ、ここは私の居場所だ」という思考が持てればあまり苦しくないはず。ほんのちょっとの違いなんだけど。 Back

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