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病院の待合室での話

私が病院の待合室についたとき、その女性と看護師はすでに話の最中だった。

他愛ない雑談だと思っていた。オープンな場所で、声を潜めるでもなく話していたから。私が診療科の受付に近づくと、看護師はいったん話を中断して、受付の手続きをしてくれた。その後すぐにまた話に戻った。

二人の話はかなり長時間続いた。私が待っている間ずっと話していた。話の内容に興味があったわけではない。聞こうとして聞いていたわけでもない。だけどそこにいる以上、話が聞こえてきてしまった。

その女性の家族の話だった。多分、子供の話。その女性は、彼女の家族の抱える問題について、看護師に相談しているのか愚痴っているのか。いずれかは定かではないけれど、かなり生々しい話だった。彼女は、家族への対処を看護師に相談しているように見えた。何度も「分からない」と聞こえたから。

私の勝手な想像に過ぎないけれど、彼女の家族がそこに通院しているとしたら、彼女は多分「家族が心配で相談している」と言うだろう。彼女は、相談の対象である家族には全く配慮していないように見えた。待合室にはそんなに人がいなかったけれど、そんなオープンな場所で話すべき内容ではなかったから。多分、家族当人にとっては知られたくないことだ。その人の身になって考えれば、そこで話すという選択は考えられないと思う。1

それなのになぜそこで話していたのだろう。せめて声を潜めて話すか、可能なら、しきりのある別室で話すという選択はできなかったのだろうか。もし別の日に、彼女が家族を伴ってそこにいたとしたら、私は「ああ、この人があの…」とかよけいなことを考えてしまうに違いないのだ。それは本人にとってプラスにはなり得ない。

結局、「家族が心配で」「家族のために」というのはものすごく美しい建前に過ぎず、本当のところは「他でもない彼女の抱える不安」を解消したいだけなのではないかと思ったという話。人の言う「誰かのために」ほど信用できないものはない。結局、長い目で見ればいつだって己のためでしかないのだ。

昔の人はうまいこと言った「情けは人のためならず」と。

私の中には、よく言われるけれど何の慰めにもならず、何の解決にもならない言葉がぐるぐるしていた。「あなたは十分辛いかもしれないけれど、本人が一番辛いんだよ」という言葉。辛さの比較をしても何の意味もない。何の慰めにもならない。今その人が辛さを抱えていることには変わりないのに。

Footnotes

行頭の数字は本文中の注釈番号に対応さしてます。

  1. もちろんこれは「彼女の家族が通院している」という前提での話だ。彼女本人が通院しているならば、配慮どころではない状態なのかもしれない。 Back

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