危ない精神分析―マインドハッカーたちの詐術
矢幡 洋 / 亜紀書房
精神分析批判本、というより、以前にここでも紹介している「心的外傷と回復」の著者のハーマン批判本。フロイト先生や、現代の「なんでもかんでも心の問題」という風潮に言及している部分もあるけど、本のメインはハーマン批判だと思う。
事例や出来事の流れはかなり詳しく書いているので、ハーマンの本を読んでなくても、アメリカの精神医学界 / 心理学界に巻き起こった巨大スキャンダル事件の読み物として楽しめると思う。
私は「心的外傷と回復」には大いに勇気づけられたクチで、ハーマンがいろいろ問題を起こしていたのはショックだった。でもいつかはそのあたりの話も読まなきゃいけないとは思っていた。で、1年半経ってやっと1冊目を手に取る。
この本で主に批判されているのは、「記憶回復療法」である。「心的外傷と回復」にも書いてあったはずなのだが、「えーそんなのあったっけ?」と思うくらいに印象が薄い。印象が薄いというか読んだ記憶がない。まぁいいや。(この時点で記憶というものの、すさまじいいい加減さが分かるってなもんである)
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この本によれば、ハーマン(及び、ハーマン派のセラピスト)は、患者の訴える心身症状の原因を、ことごとく幼児期の性的トラウマと決めつけていた。患者との面談で、患者自身からその話が全く出てこなくても、セラピスト側から「あなたは幼児期に性的虐待を受けていたから思い出すはず」と言ってむりやり思い出させていた(新しく幼児期の物語を作らせていた、と表現した方がよいかもしれない)。そうやってむりやり引き出された物語が「抑圧(もしくは解離)されていた記憶」として治療の中で絶対視されていたようだ。
ここで問題となるのは、セラピストの側が「抑圧されていた記憶」が絶対的な真実であるとしていたこと。この本の中でもさんざんツッコミが入っているが、普通に心理学の知識があれば、記憶がしょっちゅう再構成されていることに気づくはずである。
それだけで済めばまだよかったのだが、患者が「抑圧されていた記憶」を診察室の外に持ち出してしまったのはさらに問題だった。アメリカは訴訟社会であるから、「自分は被害者だった!」と主張する患者による訴訟がそこらじゅうで起こった。「抑圧されていた記憶」は絶対的な真実である、とされていたから、訴えられた「加害者」にとって非常に不利な状況が続いた。
その後、謂われのない罪で訴えられ、敗訴した「加害者」たちによって「偽の記憶症候群対策財団」が結成され、心理学者のロフタスによる実験結果を皮切りとする「記憶戦争」(ハーマン派 vs 財団派による論戦)を経て、ハーマンの「記憶回復療法」は完全に否定された、のであった。
記憶戦争の経緯や、記憶回復療法を受けた患者の証言には、非常に興味深いものがあった。特に患者の証言の中には、一般人の目から見ても、どう見てもおかしいと思う点が多々存在する。しかもこれは遠い昔の話ではない。偽りの記憶が社会問題になりはじめたのが1980年代、記憶戦争の終結が宣言されたのは、2002年。ごく最近の話である。
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で、まぁ、なんというか、なんだかなぁ。
ハーマン派のセラピストたちが「過去への復讐」を肯定してしまったことについて、私はものすごいがっかり感を覚えたのだ。
たとえば、繰り返し見る悪夢があったとして、その中に過去の加害者たちがはっきりと映っていたとして、今の苦しさが過去の加害者たちの手によるものだという物語を己の中に作ってしまった場合、余裕のない状態にあるとき、過去の加害者たちに恨みを抱いたり、復讐という行動を起こすことが考えられるし、ハーマン派のセラピストたちは訴訟という形で復讐を成し遂げさせてしまった。これに酷くがっかりしてしまったのだ。
私自身にも、もう何年も繰り返し見る悪夢はあって、その夢の内容を診察室で話しているうちに、夢の中の人物たちに対する恨みと怒りと憎しみばかりがつのって、半ば妄想に囚われたような状態で「復讐してやる!殺してやる!社会的に抹殺してやる!」ってわめきちらしたことがあった。そのとき「復讐してどうするの」「何の意味があるの」と諭されて、落ち着いた後に「過去への復讐は出来ない」と言われて、ひどく悲しい気持ちになって、さめざめと泣いた。自分は酷く無力だと思ったし、世界はなにもしてくれないと思った。それがひどく悲しかった。ただ、「過去への復讐は出来ない」ことをはっきりと言われたことで、自分が「今にしか生きられない」ことを知ったような気がする。
ハーマンの「心的外傷と回復」の中にも、被害者とされる女性たちが、今を取り戻して笑い合う場面があったと思う。「過去の加害者たちのことなんてもうどうでもよくなっちゃった」「思い出してもバーカって言ってやるの」「今はそれより楽しいことがある」そんな感じの情景だった。
ここに描かれていた情景が、ハーマンが目指していた回復の形だとするなら、訴訟という形で過去への復讐を成し遂げさせてしまうことは、それに完全に逆行するのではないだろうか。訴訟をしている間はずっと過去と対峙していなくてはいけない。思い出したくないようなものを延々と見つめ続けなくてはいけない。会いたくもない加害者の顔を見なくてはいけない。これは結果的に過去への執着を強めることになるし、訴えられた加害者の心に、新たな恨みの種を蒔くことになる(実際、謂われのないことで訴訟を起こされたことに対して、訴訟し返す事例もあったようだ)。そうなったら泥沼で、いつまで経っても過去の恨みの連鎖から逃れることはできないじゃないか。
「心的外傷と回復」の中で私が勇気づけられた回復の情景と、ハーマン派のセラピストたちが実際に行って招いた結果の落差に、私はなんだか酷くがっかりしてしまったのであった。
がっかりしたとは言っても、「心的外傷と回復」を全否定する気にはならないのだけど。「心的外傷と回復」を書いたハーマンという人物が、後にこのような大スキャンダルをまきおこすとは、それを読む限りではまったく予想もつかないから。「心的外傷と回復」の時点では、ハーマンの態度は患者に寄り添い、勇気づけることを一番の目的としているように見えた。
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あとは「危ない精神分析」を読んで爆笑してください。ハーマン派セラピストたちの行いに巻き込まれて酷い目にあった被害者がリアルにいる点では全然笑えないんだけど、おはなしとして読めば、このスキャンダル事件があまりにつっこみどころ満載過ぎて笑えてきます。(極端な事例を紹介している気もするんだけどね)
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