価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない – 発声練習
卒業していった学生について書いた大学の教官の文章。学生は雑談はできるのに、研究に関する議論になると彼の言葉では主張せず、教官の同意や保証を求めてきて辛かった、とか。そこから始まる「研究者の背骨」の話。
ここに書かれている「背骨」が大切であるということは多分全くその通りで、研究以外の場面、たとえば仕事や、日常的に繰り返される人間関係的な面でも言えることだと思う。そのことには全面的に同意する。1
だけどそれを踏まえても、B4が指導教官相手に対等の議論をできるようになってほしかったというのは、ちょっと要求レベルが高すぎる。教官は学生にとっては「評価する人」の側面を持ち、権力的上下関係が存在する。先生の評価や心証は卒業できるかどうかに直結する部分もあるので、評価は横においといて議論がしたいと教官が思っていても、そんな簡単に抜けませんわな。やっぱり怖いですよ。教官の方はそれに無自覚なのかも知れないけど。
それから、B4が黙っているのは、知識を獲得したばっかりで自分の適用のしかたに自信が持てないのもあると思う。分野でおなじみの理論であっても、初めて使う道具みたいなもんだし、慎重な人ほど考え込んで黙る気がする。
学生が黙ってしまうのは、この学生だけの問題じゃなくて、それまでの教育や環境ののあり方の問題もあるんじゃないかな。義務教育から大学3年までは、教育する側が想定している唯一の正解だけを求められており、正解じゃない場合は減点。これが刷り込まれている。優等生だった人ほどこのパターンにはまっている気がする。で、大学に来る人は元優等生の割合が高い……全然笑えない。
これに加えて教官が失敗を怒鳴る人だったり、議論の最中にエキサイトして声が大きくなる人の場合、萎縮しないのはかなり難しくなる。私の場合だけど、怒鳴ってしまう先生で、自分のストレス耐性が低かった2 のもあり、胃痛と吐き気で行けなくなった期間もあったくらいだし。先生は熱心な人だったし、私が一度折れたにも関わらず指導してくれて、人間的には懐の広い人だったと思うし感謝もしてるけども、先生と議論するのはどうしてもだめだった。黙ってしまった。3 私が研究室にいた数年間で、各学年に1人くらいは必ず折れる人が出ていた。
と、まぁ、常に教官の同意や保証を求め続けた B4 をかばってみた。B4 だけのせいじゃない、教官だけのせいじゃない、教育制度だけのせいじゃない、じゃ、何?って話だよな、これ。複合的な要因がアウトプットされた結果だし。
ところで、「B4だから」という前提があるからこそかばうこともできるけど、B4 じゃなくて、M や D の学生だと「うーん、研究には向いてないよね」って周りも自分も思ってるんじゃないだろうか。4
学生時代に何度か学会発表を経験させてもらったけど、ポスター発表でも口頭発表でも質問を投げかけてくる側は容赦なかった。とにかく自分の発表の中身について自分の知っていること、考えていることを喋り続けねばならなかった。時にはきびしいツッコミもあるし、名前しか知らないような理論を持ち出されて「こうやって考えたらどうなの?」とか言われることもある。分かんなくてもなんでも、黙っちゃ負けみたいな部分があった。とにかく何かを伝えなきゃならなかった。5
私は外で発表する機会が好きだった。自分の知っていることを話して、知らなかったことの存在を知って、新しいアイデアのヒントを人からもらって。きびしいツッコミは怖かったけど、すごく楽しかった。6 一方で、そうやって話すこと自体が辛そうな人もいた。最低限、こういう議論の機会を楽しいと思える人じゃないと、研究の世界でやっていくのは辛いのだと思う。実験はできても発表したり議論したりが辛いと、埋もれるから。
先述の、声が大きくなる教官の話に戻るけど、あの人は学生の進路のフィルターとして、ものすごく優秀だったと思う。7 私がいた研究室で D に進んだのは、学内進学も学外進学も引っくるめて、あの人とうまくやってける人だけだった。うまくやってけるというのは、正面から怒鳴り返す勢いで言い返したり、「あー、そうですねー」とすごく穏便に受け流したり、教官が大声でなんか言ってるそばでひたすら淡々と自説を説明したりと、本人のタイプによっていろいろだったけど、まとめるとみな動じない図太さを持っていた。
怒鳴る教官の是非はおいといても、簡単にぶれない人じゃないと研究の世界じゃやっていけない。さもなくばどこかで自壊すると思う。
Footnotes
行頭の数字は本文中の注釈番号に対応さしてます。
- 私の個人的な感覚としては、背骨よりも樹木の根っこの方がイメージとして近いと思った。本題じゃないのでわりとどうでもいいことだが。 Back
- このあたりの耐性…この世界に張った根っこのようなものの強さは、多分親子関係とかその他の人間関係の中でそれぞれ育ってきていると思うが、根っこをおろす対象の多様性がなくそれぞれが脆弱だったりすると少しの衝撃で折れてしまう。勉強だけを依存対象や自信の裏打ちにしてしまった学生は、他の学生に比して研究室で折れる危険性は高いのではないか、と思っている。 Back
- 社会人になってからも自分は無能なんじゃないか、使えない人間と思われているんじゃないかという恐怖は消えないし、あいかわらず上司と話すとき固まってしまうこともあります。特にミスをやらかすともうダメ。利害関係を伴う評価にはやはり恐怖があるようです Back
- 研究に向いてないやつがなんで大学、大学院に行くんだと言われたら、就職の関係、としか。化学系だと、B4 で卒業する場合は大手の研究開発に行くのは難関になる。修士まで行くのが標準になってるような……orz Back
- さすがに、名前しかしらない理論について尋ねられたときは、素直に「勉強不足で私はまだそれを知りません、よかったら教えていただけますか」と言った。ポスター発表でよかったーと、ものすごく安堵したおぼえがあるw Back
- 指導教官と話す場面では黙ってしまっても、同じ研究室の学生と研究のことで話したり、学会発表で他の研究室の教官と話すのは大丈夫、という学生は私以外にもいるでしょう、多分。 Back
- だからと言って学生の心を折るくらい怒鳴るのはどうかと思うけど。そのへんは学生の性格を見て加減して欲しいと思った。折れる人多すぎ。 Back
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