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晩鐘

  • 2010-02-04 (木)
  • Category: 書籍
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晩鐘〈上〉 (双葉文庫)Amazon: 晩鐘〈上〉 (双葉文庫)

一昨日紹介した「風紋」の7年後。

前作「風紋」が、時間が止まる瞬間の物語だとしたら、この「晩鐘」は時間が再び動き出す瞬間の物語だ。

動き出した時間は、ある人を再生に導き、またある人を破滅に導いた。時間は、因縁の姿をだんだん隠していくけれど、まったく無にすることはない。これは、そういう物語だった。

一人では受け止め切れない衝撃によって深い傷を負った人間は、程度の差はあれ、その瞬間から時間を止めてしまう。衝撃の瞬間と、その衝撃に至るまでの過去の時間に囚われて、そこに留まり続けるようになる。流れ続ける時間の中で、たった一人だけ薄い膜に包まれて、隔てられているような……。

前作「風紋」で母親を殺害された真裕子は、7年経ってもひとり、薄い膜の中で時間を止めていた。彼女の父親が新しい伴侶を見つけ、彼女の姉が新しい家族を作ろうとしているのとは対照的に、ひとり頑なに時間を止めて閉じこもっていた。多分それが彼女の身の守り方なのだろうし、彼女はそうやって、狂わずに生き延びたのだと思う。

彼女がそうやって抑え込んできた感情の描写が痛々しくて、その部分を何度も読み返した。

彼女は言う。思い切り泣けなかった涙は、涙壺に溜まると。涙が溢れることは決してなく、涙が溜まるたびに涙壺は大きく重くなると。そうやって、ずっとずっと抱え続けていくのだと。悲しみはそこに落ちた一滴の絵の具のようなもの。涙壺が大きくなるにつれ、絵の具は拡散して薄まるけれど、けっして絵の具が落ちる前には戻らないのだと。そして、恨みは、日毎に大きくなる涙壺それ自体かもしれない、と。

この「涙壺」の表現には、頭をガツンと殴られたみたいだった。

因縁というものは、消せない傷というものは、こういう性質を持つものなのか、と思った。日ごとに大きく重くなる、涙壺を、ずっとずっと抱え続けることはとても苦しい。だから、薄い膜の中で時間を止めるのだ、きっと。

真裕子にとって、「晩鐘」は再生の物語だ。物語が動くにつれて、彼女の時間も動き出す。傷自体が消えるわけではないし、悲しみがなくなるわけでもないけど、彼女は、時間を止めた膜の中で事件の瞬間までの時間を繰り返すのではなくて、未来に向かって生きられるようになった。事件が起こる前、彼女はそうやって生きていたはず。だから、再生。

一方で、別のところでは悲劇が繰り返される。その引き金を引いたのは、彼ら自身ではなかったのに。彼らはただ降りかかってきた状況の中で、息を潜めて懸命に、生き延びようとしただけだったのに。一人の殺人者の結んだ因縁が、新たな悲劇を引き起こす。本当に不毛。誰も幸せにならない。因縁と言ってしまえばそれまでなのかもしれないが、不幸になっていい人間などどこにもいないというのに。ただただ悲しいだけだった。やるせない気持ちだけが残った。

殺人者は、懲役が確定したはずの12年経たないうちに仮釈放になった。その影は、被害者遺族を動揺させ、殺人者自身の元家族たちを混乱に陥れた。

なにかがおかしいと思った。どこかが狂っていると思った。しかし、現行の司法の制度上、殺人者が野に放たれること自体を、誰も咎められない。だけど、心情としてはやっぱり何かがおかしいと思うのだ。

どうして人は人を殺すのだろう。

警察庁の統計によれば、平成20年の犯罪による死者は1211人であるという。

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