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	<description>頭に毬藻を生やした人がほよほよぷかぷかと書いているらしい。</description>
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		<title>映画「アバター」感想</title>
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		<pubDate>Mon, 08 Mar 2010 13:40:09 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[映像]]></category>

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		<description><![CDATA[				封切りからだいぶ経っているので、今頃…という感じもしないでもないけど、映画「アバター」を見にいったので感想を書こうと思います。私がゲームをやる人なのでゲーマー視点です。ネタバレを含むので見ていない人はご注意をば。 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>封切りからだいぶ経っているので、今頃…という感じもしないでもないけど、映画<a href="http://movies.foxjapan.com/avatar/">「アバター」</a>を見にいったので感想を書こうと思います。私がゲームをやる人なのでゲーマー視点です。ネタバレを含むので見ていない人はご注意をば。</p>
				<p>一言で言うなら、スケールが超でかいベタ映画（でもおもしろい）という感じ。</p>
				<p><span id="more-582"></span></p>
				<p>ストーリー自体は、途中で挿入される伏線がバレバレだったりとか、ありがちな展開だといえばありがちな展開だったれど、分かりやすく派手でおもしろかった。とりあえず「主人公のジェイクがアバター——ナヴィ族（パンドラ原住民）に似せた人工的な身体——に意識を移すことで、パンドラを自由自在に歩き回れるようになった」ということを把握しておけば大丈夫。「意識を移す技術ってどんなんだろう？」とか、「どうやって身体を作ったんだろう？」とか、いろいろ不思議に思うところはあったけど、そのへんは本筋にはあまり関係ないっぽい。</p>
				<p>話が始まってすぐの印象は「展開がRPGぽい…」だった。特に、アバターに入ったばかりのジェイクが、足の自由を失ってしまった彼の本当の身体では思うようにできない運動を、全力で楽しんじゃって騒ぎになるシーンは、グラフィックの綺麗なゲーム世界に、初めて「降りた」ときの気持ちに似ている。</p>
				<p>また、右も左も分からないままのジェイクがいきなり危険な生物でいっぱいのパンドラのジャングルに放り出されて命を落としかけたり、ネイティリ（ナヴィ族の女性）に助けられたけど「あんたはあかんぼうだ」「なにも知らない」「ついてくるな」と威嚇されたり、森の精がジェイクの身体に降りてくることでネイティリが彼を森に受け入れられた存在として村に連れ帰ったり、ジェイクがナヴィ族の生活様式や文化や森のルールを学ぶことでナヴィ族の「仲間」として認められたり…という序盤の展開は、RPG序盤のチュートリアル、レベル上げ、スキル獲得、通過儀礼的な展開に感じたのだけど、このグラフィック、このスケール感で、自由度高めでゲーム化したら絶対おもしろいはず。</p>
				<p>そしたらなんとすでにゲーム版があるではありませんか。見つけたらやろう。楽しみが増えた。</p>
				<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002QUYQU2/sphm-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51Guch2D1dL._SL160_.jpg" alt="アバター THE GAME" style="border: none;float:left; margin-right:1em;" /></a>Amazon：<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002QUYQU2/sphm-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">アバター THE GAME</a><br clear="left" /></p>
				<p>ゲームと言えば、ジェイクが、ナヴィ族の世界にどっぷりはまって、食事やシャワーを忘れてしまい、あげくの果てにグレイス博士に「むりやり流し込むわよ」とか言われる様子は、ゲームにはまりすぎて休日が消滅した経験をもつ私としては、身につまされる。けどまあ、ゲーマーはどれだけゲームにはまっても軸足をこっち側にしかおけないから、こっち側でやるべきこととの兼ね合いというものをいつも考えなくちゃいけないんだけど（考えないで没入してると廃ゲーマーになってしまう！）、映画「アバター」では、ジェイクがあっさりこっち側を捨てて向こう側に行ってしまった。映画的にはジェイクが人間側についてナヴィを追い出しにかかるよりも、ジェイクがナヴィ側について物量的に圧倒的に有利な人間に無謀な戦いを仕掛ける方が、もちろん派手でおもしろくてすっきりする展開になるだろうし、実際そういう展開になったと思うんだけど、自分の中のゲーマーな部分がなんかこう、痛みを感じてたりもした。こういうストーリーであっさりこっち側を捨てていいんじゃろか。マトリックスもこういう夢と現実を行き来する話だったけど、あれはきつい現実の方を選択したしね。</p>
				<p>まあ、現実のあれこれを妙に投影せずに、素直に映画を見ればおもしろい。</p>
				<p>パンドラという世界でのナヴィ族の生活の仕方や文化や信仰観がすごく細かく描写されていたし、主人公のジェイクと恋人役ネイティリ以外の、脇役がよい意味で濃いのもよかった。CGの技術とか、そういうのもすごいとは思うけど、背景の描写や脇役の描き込みが細かいからこそ作品世界に没入できるのだと思うし。特に女性の脇役が、みんなそれぞれに異なる、しかし芯のある強さを持っていてよかった。</p>
				<p>そういえば、最初に「ありがちな展開だといえばありがちな展開」と書いたけど、ラスボスがあの人だとは予測できなかった。研究者たちからも傭兵たちからも、なんとなく浮いてしまったジェイクに任務を与えて目をかけてやったということで、根はいい人だという印象を持っていたので、まさかああいう展開になるとはなー。映画を見た後で、時間と金をかけまくった、ゲーマーへの皮肉だというところに立って考えると、人間側の脇役の、家族の比喩ではないかとも思える関係性の中での立ち位置的に、ラスボスはあの人以外にはいないとは思うけど、だけどあの人も激怒で本来の目的を見失って迷走しまくった感じがあるので、なんでそうなるの？という感じはした。総力戦は、つっこみどころが、いろいろと……あったな……。</p>
				<p>* * * </p>
				<p>3DCGが話題になっていたので、その話をしてみる。ミーハーな夫の人に引きずられて、日本に4館しかないという<a href="http://109cinemas.net/imax/about.html">IMAXデジタルシアター</a>までわざわざ行った。ちなみに箕面。席の配置がいい感じで急斜面で、前の人の頭や、動きなどが全然気にならない点がとてもよかった。しかし私は3Dの映画を今まで見たことがないので、他の映画館と比べてどうかという話が一切できないので悪しからず。</p>
				<p>で、3D。</p>
				<p>遠景や対象をある程度離れた位置から見る場面ではすごく綺麗で自然に感じた。特に、木の上空を旋回しながら見下ろすような場面や、空中に浮いている山の遠景などは、動いているのは画面の中の映像のはずなのに、映画館の方が本当は動いているんじゃないかと錯覚するくらいだった。また、パンドラの凶暴な生き物ががばっと襲いかかってくるシーンでは、あまりの接近具合に何度か身体が「びくっ」となった。まわりに気づかれていたら恥ずかしいなあ。</p>
				<p>そういうシーンでは3Dの表現力を感じたが、顔の超ドアップのシーンで3Dで表現することにいまいち意義を感じない。また、狭い室内のシーンでは、手前にあるものが飛び出しすぎてかえって不自然に思う部分があった。それから、動きが激しくて対象物の距離もある程度近いシーンでは、手前で激しく動く対象が綺麗に3D像を結ばず、なんだか乱視の人になった気分だった。これは席の場所の問題（右側だった）かもしれないし、私の目の問題なのかもしれない。他の人はどうだったんだろう？</p>
				<p>3Dの技術は、多分相当すごいところまで来ているのだろうなあ。でも、本当に自然に見えるものを作るにはもう少しなのかな？と感じた。</p>
				<p>あとまあ、映画を見てから数時間後、酷く頭が痛くなりますた……寝たら治ったけど。</p>
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		<item>
		<title>孤独感・劣等感の増幅装置としての Twitter</title>
		<link>http://spherical-moss.net/2010/02/tw-inferiority-complex.html</link>
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		<pubDate>Thu, 25 Feb 2010 10:22:40 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[Twitter]]></category>

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		<description><![CDATA[				昨日、NHK教育の「視点・論点」という10分番組で、「Twitter と孤独」というテーマが取り上げられた。話の内容は、社会——会社、学校、地域、家庭など——の中で人間関係が流動化、希薄化することで、ささやかな言 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>昨日、NHK教育の「視点・論点」という10分番組で、「Twitter と孤独」というテーマが取り上げられた。話の内容は、社会——会社、学校、地域、家庭など——の中で人間関係が流動化、希薄化することで、ささやかな言葉を気軽に交わせる場や人間関係が失われており、そんな中でTwitter がこれほどの速度で浸透したのは、多くの人が気軽につぶやける相手を求めているのではないか、というものだった。</p>
				<p>社会の中で人間関係が希薄になっているというのは頷ける。そして、それでも気軽に言葉を交わせる相手が欲しいと思うのも自然なことだと思う。しかし、Twitter がこれほどの速度で浸透したのは、商売に使えると思った人たちがメディアを使って煽ったから知名度が上がり、知名度が上がったから浸透したのではないかと思ってる。ひねくれた見方かもしれないけど。</p>
				<p>希薄になった人間関係を Twitter で補うことができるかと考えてみると、以前はそういう面が強くあったと思うけど、最近はそうでもないように思う。全くなくなったとは言わないし、Twitter がなかったら成立しなかっただろうコミュニケーションは確かにあるけど、同時に孤独や劣等感の増幅装置としても働いていると思う。</p>
				<p>以下、2009年夏頃からもやもやと考えていたことをこれを機に出してみることにする。全然まとまっていない上に、すっごい長文です。</p>
				<p><span id="more-62"></span></p>
				<p>2009年の夏頃から、新書や雑誌、新聞などのメディアで Twitter がさかんに取り上げられるようになった。そこでは、Twitter が簡単に新たな人との繋がりを構築できるツールとして扱われていた。ただ、書き手のほとんどが社会的にある程度の地位と知名度を獲得している人だということで、それらは、私たちのような一般人が体験し、見た Twitter 像とは違う部分もあると思う。</p>
				<p>彼らと一般人の最も大きな違いは、Twitter 以外に自分の情報を発信するメディアを持っているか否かであり、また、名前や肩書きと紐づけられた個人として認識されやすいか否かだ。</p>
				<p>出版ラッシュの後でたくさんの人が Twitter に入ってきたようだが、「Follow/Follower数は多い方がよい」という価値観があるように思う。<a href="http://twitter.com/#search?q=%23followmeJP">#followmeJP</a> というハッシュタグがあって、そこに現れる書き込みはつまりは「follower さん募集」「私はここにいるから私を見て」という意思表示とも解釈できる。また、<a href="http://twitter.com/#search?q=%23sogofollow">#sogofollow</a> というハッシュタグもあり、これは相互 follow、つまり「あなたが私を見るなら、私もあなたを見る用意はある」という意思表示とも解釈できる。そして、これらのタグに現れる tweet の流速はとても大きい。一度検索して数分放置するとすぐに10とか20とか、特に流速の激しいときには100を超える tweet が現れる。そういうのを見ていると、みんな、なんだかんだで淋しがりなんだなと思う。</p>
				<p>これは以前に書いてたりする。</p>
				<ul>
				<li><a href="http://spherical-moss.net/2007/06/twitter-for-lonery.html">Twitter って人嫌いの淋しんぼうのためのツールだよね &#8211; Spherical-moss.net</a></li>
				</ul>
				<h3>ちょっと昔を振り返ると</h3>
				<p>「人嫌いの淋しんぼう」を書いた2007年6月時点では、Twitter は人嫌い——正確には人とコミュニケーションするのにイマイチ自信が持てない、と言った方がいい——だけど、そこに人がいないと淋しさを感じるという人たちにとって、一種癒しの場としてはたらくことが可能だったと思う。なので、その後、こういうこと↓を書いたりもしている。</p>
				<blockquote><p>最初にTwitterの例を挙げたけれど、あそこはなんとなくそこにいていいという空気がある。そういう空気のある場所を、自分で構築していく感じかな。<br />
				（中略）<br />
				誰からも@メッセージがなかったとしても、無言の誰かが、そこに人がいることを見てくれている。そういう、いい空気のある空間を、最初の居場所にする。<br />
				<cite><a href="http://spherical-moss.net/2008/02/pay-me-attention.html">承認欲求の根っことTwitter &#8211; Spherical-moss.net</a></cite></p></blockquote>
				<p>この時点 (2008年2月) では、少なくとも私が見た範囲では、2007年頃にあった相互フォロー文化（字のごとく、follow されたら follow し返すという暗黙の了解みたいなもの）がまだ残っていた。Twitter 人口がまだまだ少なかったから、follow される分は全部 follow 返しても、個人として認識することがが可能だったのだと思う。だから、誰かを follow することで相手に「私はここにいますよ」を無言のうちに伝えることができたし、相手が follow しかえすことで「あなたがそこにいることを認識しましたよ」を無言のうちに伝えることができた。そういう前提があったから、私は Twitter は一種の癒しの場だと感じていた。</p>
				<p>2009年の前半くらいまでは、Twitter 自体が「140文字で tweet する以外はなにもできないけど考えようによってはなんでもできる」という性格の web サービスで、使っている方もなにに使えばいいのか、なにに使えるのかよくわからないまま、適当に好きなように使っていた感じがある。そんな状況の中で Twitter を楽しむためのマッシュアップサイトやクライアントもたくさん生まれたし、ユーザーが慣例的に使っていたルールをサービス側が取り込んだこともあった（RTのこと）。ブログを持っている人なんかは「Twitter の使い方は人それぞれですよね」ということを書いていた。</p>
				<h3>2009年夏頃から見え始めたもの</h3>
				<p>2009年の夏頃、Twitter 本の出版ラッシュやメディアでの露出が増え、空気が変わったなあ、と感じるようになったし、「いいものなんですよ！」「すごく楽しいんですよ！」と喧伝されるたびに、私はネガティブな面の方を見てしまって違和感を覚えるようになっていったのであった。</p>
				<h4>集団の中にいるが故の孤独</h4>
				<p>2009年の夏以降、具体的に何が起こったかというと、さっき書いたように、新しい人がドンドン入ってくるようになった。また、#followmeJP や #sogofollow タグに見られるような、Twitter の目的は「繋がること」「コミュニケーションすること」であり、「follow/followerは多い方がいい」という空気が生まれた。商業出版やテレビなどのメディアには、やはりすさまじい影響力があり、「繋がること」「コミュニケーションすること」が唯一無二の正しい目的であるかのように、新しく始める人たちの認識を塗り替えた。言い過ぎかもしれないけど。</p>
				<p>仮に、Twitter の目的が「繋がること」「コミュニケーションすること」だとすると、follow/follower 数や、@つき tweet の数は、成果の尺度に姿を変えてしまう。だからガツガツと follow 数を増やし、一方で、follow 数が多いわりに follower 数が増えない、誰も @ してくれない、等と言ってへこんだりするのだと思う。そこで一喜一憂するのは、本末転倒でしかないのだけど。</p>
				<p>Twitter 以外に一対多の発信手段を持たなかった一般人が Twitter を始めても、簡単に新たな人との繋がりを構築できるなんてことは、ない。何年も個人サイトやブログを続けていて、ある程度読者を獲得しているような人であれば、それをきっかけにして Twitter での繋がりが生まれるということはあるけど、そういうのもまったくない人では、Twitter 上で何らかの努力をしないと、新たな人との繋がりなんて生まれようもない。努力したとしても、誰からも反応をもらえないまま、おもしろくなくなって止めてしまい、全てが時間の無駄に終わる可能性だってある。</p>
				<p>どうもメディアの人たちは Twitter を流行させたいらしいので、そういう部分にはあまり触れない（もしかしたら気づいていないだけかもしれない）けど、そうなったら新しい繋がりを作るどころか、自分の存在の耐え難い軽さを直視させられ、集団の中にいるが故の孤独感を深めるだけだと思う。それは、一人でいる故の孤独感より、よほど露骨で耐え難いものではないだろうか？（そういえばそういうタイトルの小説があったよねえ。未読なんだけど、これを機に読んでみようかしら）</p>
				<h4>「無駄な絆」の可視化</h4>
				<p>また、昨日の「視点・論点」放送直後あたりに、誰かが「無駄な絆」って tweet していたのを見て、的を射ているけど表現があまりに露骨すぎて、私はPCの前で声を出して笑ってしまった。</p>
				<p>こちら側から見たらすごく魅力的な人を Twitter で見つけたら、こちらからは普通に follow するけど、その人がこちらを follow することがなく、おまけに @ を使ってその人が気づくように tweet してもなんら反応が返ってこないということがずっと繰り返された場合、（follow するかどうか、@つき tweet に反応するかどうかは相手の自由だし、こちらがああだこうだ言うような話じゃないというのは当然分かっているとしても、）それは、繋がりたいと思う相手が自分を見る視線が、「無駄な絆」を見る視線だということを、可視化してしまう。こうなると、follower 数が100 だろうが 200 だろうが 1000 だろうがずっと淋しいままだ。これはもう身投げするしかないよね、っていう。まあ、身投げは大袈裟だけど。</p>
				<h4>成功者と落伍者の距離が近すぎる世界</h4>
				<p>さらに、実社会で成功している人たち——例えば芸能人、文化人、財界人、研究者、その他実社会で自分の名前で商売できるような人たち——を follow することで、あたかもその人たちとフラットな位置に立っているかのような錯覚を覚えるが、実際はまったくそういうことはない。例えば「Twitter 始めました」の一言に対しての最初の follower 数が、100倍とか1000倍とか違うし、「○○って何？」に対して投げかけられる @つき tweet の数が違う。無名の一般人なら「ググレカスｗｗｗ」で済まされる問いに対しても、個人としてはっきり認識されているというだけで「それは○○で〜」と、親切に教える人が増える。それに加えて favorite という、おもしろい tweet に☆をつける機能や、RT というおもしろい tweet を転送してみんなに広める機能まであるんだから、あとは推して知るべし。要は実社会での発言力がそのまま twitter にも反映されるというだけの話だ。</p>
				<p>その上、自分自身がある分野の職業や地位を手に入れたがっている人である場合や、何らかの事情で進路変更をせざるを得なかった人——有り体に言えば「落伍者」である場合、成功者がすぐ隣にいて、彼らとの格差を常に見せつけられる状態ってどうなんだろう。特に後者は、あのポジションにいるのは、もしかしたら自分だったかも知れないのに……といって、涙を流しながらハンカチを噛みしめているかもしれない。ぎりぎりぎり。</p>
				<p>格差が見えるというのは、Twitter 以前のそれこそ HTML を手打ちしていた時代の個人サイトや、ブログの時にもあったと思うけど、HTML 手打ちはある程度知識がないとできなかったし、ブログはある程度の長さの文章を書かなければいけないような感じがある。一方で Twitter は140文字以内と短いので、気軽に何度も tweet してしまうわけで、成功者たちの日常——仕事で行った場所、講演や打ち合わせ等のスケジュール、休日の様子、交友関係など——が、follow してしまえば自動的に流れてきてもろに見えてしまうこともあって、辛さの度合いはより大きいのではないかな、と思う。そのうち、逆恨みによる刃傷沙汰とかマジで起こりそうで怖いのよね。</p>
				<p>「そんなに苦しいなら、follow しなければいいじゃないか」という見方もあるだろうが、自分が興味を持っている分野や諦めた分野をまったく見ないようにするというのは、難しいと思う。そりゃ悔しさもあると思うが、同時に、憧れる気持ち、賞賛する気持ち、応援する気持ちもあるのだから。</p>
				<p>以上、物事をわりとネガティブに捉えやすい人間が見た、Twitter の一面。</p>
				<h3>私的 Twitter：ぼんやりする場</h3>
				<p>多分、このように感じるのは、私の Twitter の使い方が、メディアが与えようとする（ように見える）目的、つまり「繋がる」「コミュニケーションする」ための Twitter とは、少しずれているというのもあると思う。</p>
				<p>私は、Twitter を始めてからずっと、たとえば人がたくさんいる居酒屋や、井戸端会議の輪がいくつもあるような公園や、にぎやかなカフェのすみっこにちょこんと座っていて、普通だったら誰も気に留めないような、ごくごく普通の人たちのおしゃべりを、聞くでもなく、聞かないでもなく、ぼんやりと耳に入れているような、そしてときどきおずおずと輪の中に入っていくような、そんな感じで使っていた。私の抱いている嫌悪感は、「メディアの価値観押しつけるんじゃねえよ」という、一種の被害妄想かもしれない。</p>
				<h3>言われるほどハッピーな場所でもない</h3>
				<p>まあ、こういう感じ方もあると思うので、最近になってメディアで取り上げられたことで Twitter を知り、これから始めようと思った人たちは、メディアで言われるほどハッピーなものではないと思っていた方がよいと思う。人が集まる場所は、結局、実社会の縮図でしかない。自分が Twitter を遊び場や息抜きの場として捉えていたとしても、視界に入る位置に実社会での肩書きや地位を持ち込む人がいれば、実社会の縮図としての性格が強まってくるのはしかたがない。ただし、Twitter は、相手を follow しなければ見ないでよい世界なので、自分の裁量で実社会という成分を希釈することは可能。嫌だったら remove &#038; block、それに限る。</p>
				<p>また、これも実社会と一緒で、自分からアクションを起こさないのに成果だけ得られるなんてことは絶対にないから、全く無名の一般人が Twitter で新しい繋がりを作りたいと思ったら、やっぱり個人として認識してもらうために、幾ばくかの努力は必要になると思う。</p>
				<p>例えば、興味のある内容を tweet した人に、@つき tweet で「私はこう思うよ」って伝えてみる。頻度をほどほどにしておかないと、ストーカー的な印象を持たれて怖がられる可能性はあるけど。何度か @つき tweet をもらうと、その時は直接反応を返さなくても、そのうち「○○さんだ」って思うようになる（ただし follow/follower 数がいずれも数百程度の人の場合。千を超えるといちいち見てられないと思う）。あくまで私の場合だけど、最近 follow されても Home を見に行って人となりを知るということがなかなかできなくなってきてたりするけど、そういう状況でも @つき tweet をもらうと、なんとなく Home まで見に行くということはある。こういう人、他にもいるんじゃないかな？そして、そういうのは繋がりの芽になると思うんだ。</p>
				<p>さっき自分で「繋がる」「コミュニケーションする」が唯一無二の目的であるかのように Twitter が喧伝されているのには違和感があると書いておきながら、繋がるためには努力が必要だとか書いてるわけなんだけどさ、なんだかんだで私は Twitter という場が好きなので、そういうのを期待して入ってきた人たちが、がっかりしちゃったりとか、逆に孤独を深めちゃったりとか、そういう場面はあまり見たくないのです。</p>
				<h3>余談</h3>
				<p>ここまで一気に書いてうわあ長いと思ったんだけど、過去の自分の tweet を見ると「無駄な絆」が 2 tweet、ワナビ・落伍者がやっぱり 2 tweet くらいに収まってるので、なんでたかだか 560 文字で書けるような情報をブログでやるとこんな長さになるのかと、自分のまとめ能力のなさが嫌になるでござるよヽ(`Д´)ﾉ</p>
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		<title>「何かをする」のは簡単だが「何かになる」のは困難</title>
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		<pubDate>Tue, 16 Feb 2010 12:47:57 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[日常語り的な何か]]></category>

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		<description><![CDATA[				なんか最近「カツマー vs  カヤマー」なんてのがあったなあと思いながら。
				
				「何かをする」のは、自己完結してるから簡単だと思う。自己完結というのは、つまり「勉強する」とか「スポーツをする」とかそ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>なんか最近「カツマー vs  カヤマー」なんてのがあったなあと思いながら。</p>
				<p><span id="more-60"></span></p>
				<p>「何かをする」のは、自己完結してるから簡単だと思う。自己完結というのは、つまり「勉強する」とか「スポーツをする」とかそういう種類のもの。「行動＝なにか」である場合のこと。どれだけ不慣れでも下手くそでも、行動さえ起こせば「何かをした」ことにはなるし、毎日10分でもやっていれば「毎日している」ことになる。</p>
				<p>一方で「何かになる」方。「就職する」とか「スポーツの大会で優勝する」とか「社会的に成功する」とか。動詞的には「する」だけど、「会社員になる」とか「1位になる」とか「成功者になる」「有名人になる」とか、言葉を「〜になる」の形で置きかえてもあまり不自然さのないもの。「何かになる」ために、努力として「何かをする」ことで、「何かになる」可能性は上がるけど、全員が「何かになる」わけではなく、運とかタイミングとか人間関係とか、自分ではコントロールできない要素がたくさんある上に、たいていパイの奪い合いになるから難しいと思う。</p>
				<p>努力というのは、「何かになる」ことを目標として、延々と「何かをする」ことを繰り返すことだ。努力自体はそんなに難しいことではないと思う。だって行動するだけでいいから。でも努力は努力自体では自己完結しないから、長期化するとめんどくさいことになる。</p>
				<p>みんな、努力の先に「何かになる」ことを求めている。人間てのは自己完結で「何かをする」だけじゃダメで、努力の先に「何かになる」という結果がないと満足できない生き物だし、たいていの人にとってそれは自分の社会的な場所（position もしくは role 的な意味）を確立することだと思う。</p>
				<p>でも実際には全員が自分の望む何かになれるわけじゃない。努力が目的ではなく、「何かになる」のが目的なのに、果たされるのは「努力をすること」ばかりで、いつまで経っても「何かになる」ことができない人がいて、そういう人たちは、「何かになる」という報酬がいつまで経っても得られない努力の連続に疲れ果ててしまうのだろう。</p>
				<p>例外は努力自体を目的化できた人で、努力が手段であり報酬だから、その先の「何かになる」の成否にかかわらず、努力しているうちはいつも幸せでいられる。</p>
				<p>努力することで必ず「何かになる」わけじゃないけど、何もしなければ何にもなれないので、「何かになる」ことを期待しすぎて心がぽっきりいかない程度に努力するのがいいような気がする。結果的に「何かになる」がついてきたら儲けモノ程度に考えていれば、「何かになる」ことにこだわりすぎるあまりに苦しくなるってこともないだろうし。</p>
				<p>「何かになる」という目標を掲げ、達成するために長期間の努力を続け、しかもその途中で心がぽっきりいかないように欲求をコントロールし続けるっていうのは、一見ガツガツして見えるようで、実のところはものすごくストイックだと思う。</p>
				<p>なので、私はつねづね、努力を長期に渡って続けることには「努力の才能」が必要だと思っている。それは目標である「何かになる」を適切に設定できる能力、それを達成するための道筋を適切に描くことのできる能力、そしてそのために「何かをする」ことを黙々と長期に渡って続けられる能力……。</p>
				<p>とか言ってる私はと言えば、「努力は嫌い」と公言してはばかりませんが何か？一度ぽっきりいったら、次またぽっきりいくのが怖くなってしまって、努力なんてある程度セーブしてしんどくない範囲でしかやれなくなるんだよヽ(`Д´)ﾉ</p>
				<p>余談だけど、誰か が Twitter で「僕たちは、やらなければできない子！」って言ってて、うわあこれって超名言だわ、と思った。</p>
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		<title>Lang-8 をはじめてみた</title>
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		<pubDate>Mon, 15 Feb 2010 10:30:13 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語勉強中]]></category>

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		<description><![CDATA[				この増田経由で Lang-8 というSNSを見つけて登録してみた。Lang-8 の運営会社について詳しくは  ITmedia News のこの記事 あたりを参照。
				Lang-8 には、世界各国から外国語を [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p><a href="http://anond.hatelabo.jp/20090716175613">この増田</a>経由で <a href="http://lang-8.com/">Lang-8</a> というSNSを見つけて登録してみた。Lang-8 の運営会社について詳しくは <a href="http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/18/news075.html"> ITmedia News のこの記事</a> あたりを参照。</p>
				<p>Lang-8 には、世界各国から外国語を勉強したい人たちが集まっている。このサイトのおもしろいところは添削機能で、自分の勉強したい言語で日記を書くと、その言語のネイティブが添削してくれる。</p>
				<p><span id="more-59"></span></p>
				<p>例えば私の場合、英語で日記を書いて、添削して欲しい言語の設定を英語にする。すると、英語のネイティブスピーカーさんのトップページの「添削が必要な日記」の一覧に自分の日記が表示される。すると、気づいたネイティブさんが直してくれる。</p>
				<p>あんまり長い文章や専門用語の多い文章だと見る方もうんざりしそうなので、3〜10文くらいを目安にして、日記や日本の文化（サブカルチャーを含む）について書こうと思っている。日本の文化について書くのは、日本語を勉強している人の中には日本にも興味がある人が多そうだから。日本のサブカルに私より詳しい人がいたりしてびっくりすることもしばしばある。オタクは海を越える。</p>
				<p>専門的な内容はあまり書かない。化学のことを書いても、化学を専門としている人が見てくれる可能性はそんなに高くないと思うし。それから、政治、宗教、国際問題は利用規約でNGってことになってる。世界各国の人がいるこのサイトの性格を考えると、妥当な規約だよね。</p>
				<p>高校、大学の頃、英語はそんなに苦手じゃなかったし、英作文も受験対策でそれなりに書いていたから、それほど間違えまくることはないと思っていたけど、ところがどっこい、ゼロからまともに書けるのは、中学校で習うような文法的に簡単な英語だけだということが分かった。しかも、冠詞の使い方とか、時制とか、単数/複数形とか、細かいところをちょこちょこと間違えるもんなあ。また、理解語彙はそれなりにあるくせに、使用語彙となると途端に少なくなる。すごく初歩的な英文しか書けない。スペースアルクが僕の友達。</p>
				<p>また、日本人から見ると文法的には間違ってないし意味が通じると思う英文でも、ネイティブさんから見ると卑猥な意味になってしまったり、乱暴に聞こえたりする表現もあるようで、ばしっと指摘されてちょっと恥ずかしかった……涙。こうやって赤っ恥をかくと、しっかりインプットされてよいですね。</p>
				<p>このサイトは基本的に相互扶助が前提なので、添削してもらった分、日本語を勉強している人たちの日記を添削してコミュニティに貢献することになる。自分のトップページの「添削が必要な日記」の一覧に、まだ添削されていない日記が表示される。いちおう、いわゆるSNS的なマイフレンド機能もあるけど、フレンド関係はあまり考慮しないで見に行くことにしてる。日本語ネイティブのユーザーがそれなりに多い（3割が日本人らしい）ので、すでに誰かが添削していて、私が添削する必要はないという状況もある。でもいろいろ見に行くことで交流が広がっておもしろいと思う。</p>
				<p>このサイトの効果として、学習したい言語で日常生活に使うような文を書くことに慣れるのが最初にあると思うんだけど、おまけとして母国語の文法、語法、TPO等を見直すという効果もある。日本語を勉強している人の書く日本語を添削すると、結果的にそうなる。</p>
				<p>私は、勉強中の人は最初は教科書的に正しい表現を覚えた方がいいと思っている。話し言葉や方言、スラングなんかは文化に触れているうちに自然と入ってくるものだし、わざわざ覚える必要もないと思う。そこで、添削するときはできるだけ教科書的に正しくて、ひとつの意味にしか捉えられないような表現を探すのだけど、普段なにも考えずに日本語を使っているので、改めて考えてみると難しい。また、語彙力によって求める添削のレベルにも違いがあるのも悩みどころ。ある程度堪能な人は慣用句など応用的な表現も使えるようになりたいだろうし、まだまだ不慣れな人には、そういうのは混乱を招くだろうし……難しい。</p>
				<p>私は日本で生まれて日本で暮らし、日本語を日常的に使っているけど、実は自分で思っているより日本語が不自由なのかもしれません。語学って、なんだか行間にある事情を読みとる力が大切だと思うわホントに……。</p>
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		<item>
		<title>2ヶ月後の英語「学習に文字は必要なのだろうか？」</title>
		<link>http://spherical-moss.net/2010/02/i-can-hear.html</link>
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		<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 10:21:35 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[英語勉強中]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spherical-moss.net/wp/50 /death_march/</guid>
		<description><![CDATA[				Smart.fm を再開したと書いたのが、去年の12月2日のことだから、まあやっと2ヶ月ってところ。とりあえず現状を記録。
				
				時間的にはだいたい1日1時間、内容的には iKnow で単語の学習を3 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p><a href="http://smart.fm/">Smart.fm</a> を再開したと書いたのが、<a href="http://spherical-moss.net/2009/12/smartfm.html">去年の12月2日</a>のことだから、まあやっと2ヶ月ってところ。とりあえず現状を記録。</p>
				<p><span id="more-50"></span></p>
				<p>時間的にはだいたい1日1時間、内容的には iKnow で単語の学習を30分くらい（だいたい50〜100単語）＋ディクテーションを30分くらい（だいたい30〜50文）で、その日の調子によって変動する。最初の頃からあまり変わっていない。</p>
				<p>さすがに2ヶ月にもなると、私のような根性なしでも生活習慣ぽくなるようで、多少予定が前後しても1時間はキープできるようになった。</p>
				<h3>成果・進度</h3>
				<p>成果の方だけど、リストの進度的にはこんな感じ。</p>
				<ul>
				<li><a href="http://smart.fm/goals/521">まずは！TOEIC基礎・リーディングセクション</a>：iKnow、ディクテーション共に終了</li>
				<li><a href="http://smart.fm/goals/520">まずは！TOEIC基礎・リスニングセクション</a>：iKnow、ディクテーション共に終了</li>
				<li><a href="http://smart.fm/goals/1004">まずは！TOEIC基礎・総仕上げ</a>：iKnow 98％、ディクテーションは終了</li>
				<li><a href="http://smart.fm/goals/45380">オバマ氏大統領就任演説:2009年1月20日</a>：iKnow、ディクテーション共に終了</li>
				<li><a href="http://smart.fm/goals/522">さらに！TOEIC上級・リスニングセクション</a>：iKnow 75％、ディクテーションは終了</li>
				<li><a href="http://smart.fm/goals/523">さらに！TOEIC上級・リーディングセクション</a>：iKnow 22％、ディクテーション6％</li>
				</ul>
				<p><img src="http://farm5.static.flickr.com/4057/4341682062_82078827f2_o.png" width="171" height="101" alt="Smart.fm進度(2010/02/09)" style="float:left; margin-right:1em;" />単語数的には、マスターした単語が990になった。けっこう頑張ったなあと思う。<br clear="left" /></p>
				<h4>アニメの英語音声が聞こえるようになった</h4>
				<p>現在、英語音声のアニメのキャラクターが喋っている英語を、なんとなく聞き取れるようになってるなーという実感がある。喋ってる英語を直訳したものと、字幕の日本語ってけっこう違ってるんだなーと感じる程度には聞き取れる。ただ、知らない単語が出てくると話の筋が分からなくなるので、字幕は必要。</p>
				<p>Smart.fm でディクテーションをすると、冠詞や前置詞等、早口だと全然聞き取れないような部分まできっちり聞き取ることを要求されるのでけっこうきつい。一方でアニメを見るのは文脈上重要な単語を把握するだけでいいので、精神的にはずいぶん楽だ。アニメの方が断然楽しい。</p>
				<p><a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001JKO0EM/sphm-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51b3dO7PN5L._SL160_.jpg" alt="スター・ウォーズ / クローン・ウォーズ 特別版 [DVD]" style="border: none;float:left; margin-right:1em;" /></a>Amazon: <a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B001JKO0EM/sphm-22/ref=nosim/" name="amazletlink" target="_blank">スター・ウォーズ / クローン・ウォーズ 特別版 [DVD]</a></p>
				<p>見ていた英語音声のアニメはクローンウォーズ。それほど早口でもないしクソ難しい言葉も出てこない。ドロイド（敵の機械）の会話音声は、ロボットぽく加工してあるので、ちょっと聞き取りにくい。<br clear="left" /></p>
				<p>字幕つきのアニメのいいところは、知らない単語がセリフの中に出てきても、日本語字幕をチラリと見ることで、音に対応する意味をなんとなく把握できるようになることにあると思う。書けないけど聞く分にはなんとなく分かるとか、そういう感じになってくる。</p>
				<h4>意味と音と文字</h4>
				<p>そういえば、今の私の世界の把握の仕方は、特に日本語を使った場合「ある音に対し、音を表す文字があって、その文字が指す対象が存在する」もしくは「ある対象が存在して、それを表す文字があって、その文字に対応する音がある」という風になっているけど、きっともっと幼い頃、文字の読み書きができない頃には、「音に対して、その音が指す対象が存在する」もしくは「ある対象が存在して、それを表す音がある」という風だったのだろう。</p>
				<p>今の私は、世界を把握するために文字を使うことがあまりに当たり前になりすぎていて、英語も書けなきゃダメだし読めなきゃダメみたいな風に思いこんでいたけど、本当はもっといいかげんでも問題ないのかもしれない。（話すだけ、聞くだけという条件つきなら）文字が書けなくても読めなくても、分かればいいわけで。でも、いちど文字を使うことを覚えてしまうと、そこから抜けるのは難しいようにも感じる。</p>
				<p>ただ、現時点で文字に落とし込まれていない対象に関しては、そういう学習の仕方もありなのかも、と、考えた。</p>
				<h3>TOEIC上級・リーディングセクションはひとつの壁かも</h3>
				<p>本筋の Smart.fm の話に戻ると、2、3日前に<a href="http://smart.fm/goals/523">さらに！TOEIC上級・リーディングセクション</a>というリストを始めて、微妙に壁にぶちあたっているところ。ひとつには今まで見たこともなかったような単語が増えてきたことがある。これまで高校や大学でやってきた英語学習の貯金が切れた。</p>
				<p>もうひとつには、このリストに含まれる英単語の綴りが、以前学習した英単語たちの綴りによく見られるパターンとちょっと違うというのがある。具体的には説明しづらいんだけど。したがって、これまでに学習した単語と同じノリでなんとなくタイピングして間違えることが増えて、結果的になかなか進まない。</p>
				<p>こりゃひとつの壁だなあと思っているし、急に進まなくなるかなあと覚悟もしている。ただ、2ヶ月で習慣ができたので、ペースを崩さないでやってたらそのうちなんとかなるだろう。</p>
				<h3>今後やりたいこと</h3>
				<p>Smart.fm では自分で学習したい英単語を集めて、オリジナルのリストを作ることができる（共同編集も可）。その機能で、仕事で使う用語集を作りたい。とりあえずは分析化学関係の用語集と、GMP関係の用語集が欲しいなあ。したいなあ、っていうだけで、実際は全然手をつけていないんだけどｗ</p>
				<p>それから、そろそろ洋書にトライしてみてもいいかなあとか思い始めてる。オズの魔法使いとか不思議の国のアリスとか読みたい。</p>
				<p>まあ、公式のリストで学習するだけで手一杯なんだけど…(´･ω･`)</p>
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		<item>
		<title>[夢]夢の世界でもゲームやってるってちょっとマテ</title>
		<link>http://spherical-moss.net/2010/02/rpg-in-dream.html</link>
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		<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 10:04:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[夢見語り]]></category>

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		<description><![CDATA[				夢の世界でもゲームをやっていました　orz
				ゲームの世界観はオブリビオン的だった。
				私はゲームの主人公で、おともをつれていた。
				
				ある街でモノが届くのを待っている人がいるから、それ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>夢の世界でもゲームをやっていました　orz</p>
				<p>ゲームの世界観はオブリビオン的だった。<br />
				私はゲームの主人公で、おともをつれていた。</p>
				<p><span id="more-31"></span></p>
				<p>ある街でモノが届くのを待っている人がいるから、それを持って待ち合わせ場所に行けと言われた。さっそくそこに向かう。待ち合わせ場所は町はずれの路地。街の警備をしている衛兵に見つかるとまずいためこっそりと移動する。</p>
				<p>操作ミスでうっかり待ち合わせ相手のポケットからお財布をすってしまう。瞬間、頭に血がのぼる相手。「衛兵ー！衛兵ー！」と叫びまくる。いやあんた衛兵に見つかったらまずいんじゃなかったのかよ……と思いつつ、なんかやばそうなので撤退。</p>
				<p><strong>リセット。</strong></p>
				<p>今度は操作ミスしないでちゃんとモノを届けるぞー、と思いつつ待ち合わせ場所へ。すると、私の存在に気づいた瞬間、かちゃり、と剣を抜く相手。えーリセットしたから敵対フラグ消えてるはずじゃん！と思いつつ、とりあえず逃げてみる。</p>
				<p><strong>リセット。</strong></p>
				<p>もうなんなのよ、と思いながら再び待ち合わせ場所に行く。やっぱり私の存在に気づいた瞬間剣を抜く相手。リセットしたのに。なんかむかついたのでもうこいつ無視してゲーム進めてやる。そう思ってとりあえず街の路地の中を走り抜ける。相手は追いかけてくる。まあきっとそのうち衛兵が出てきて、襲ってきた相手の方を捕まえるなりしてくれるだろうと思っていた。思っていたのに。</p>
				<p>歩いている衛兵を見つけたので一安心。と思った瞬間、衛兵が剣を抜いた。で、後ろで剣を振り回しているヤツではなく丸腰のこっちに斬りかかってくる。意味が分からない。とりあえず戦うのが馬鹿馬鹿しいのでぴゅーっと逃げる。</p>
				<p>逃げていると前から街の人が来た。うわあ巻き込んだらまずいぞ、と思ってたら今度は街の人まで武器を構えたー！いやちょっとマテ。私はあんたとは敵対してないはずだぞ。ていうか単なる乱闘好きなだけなのか？街の人は武器を構えたまま、私の後方にいる最初の相手と衛兵の方にぴゅーっと走っていった。</p>
				<p>後ろの方で乱闘している音。</p>
				<p>しかたないのでぴゅーっと逃げる。でも乱闘の音がずーっとついてくるのよな。しかも出会う人出会う人どんどん乱闘に合流していく。必死に逃げすぎて高い段差とかから飛び降りてたせいで、けっこうダメージ喰らってるし、ああもう。</p>
				<p>おとも「なんか微妙だしとりあえず回復してセーブできるところまで行けば」</p>
				<p>私もそれがいいと思ったのでそうすることに。一番近いのが、小高い丘の上にある、講堂のような建物の前だったのでそこまで走る。走っているうちに乱闘の音は聞こえなくなった。うまいこと撒けたらしい。</p>
				<p>とりあえず、セーブできる場所で野宿。睡眠時間は5時間を選択。5時間の間に、乱闘軍団が追いかけてきてて、目が覚めたら囲まれてたとかになったらどうしようという懸念がなかったわけではないが。</p>
				<p><strong>5時間経過。</strong></p>
				<p>目を開けて起きあがると、すぐそばになんかでかいのがいますよ。10 m はあろうかというドラゴン。ゲーム内で当たり前に乗り物として使われているラクダのようなアルパカのような謎生物。謎生物は色とりどりの布を纏っていて。豪華な鞍を載せていて、謎生物のくせに少し高貴に見えてむかつくｗ</p>
				<p>で、謎生物の横に立って私のことをじーっと見ている鎧の人物。ダースベイダーのように頭をすっぽり覆う兜をかぶっているので顔も表情も分からない。その人がこちらに向かって歩みを始めると鎧がすれる「かちゃり」という音がした。</p>
				<p>ああよくわからないけどなんかやばそうだな、と思ったところで目覚め。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>思考が暴走しかけたら、ヨガ。</title>
		<link>http://spherical-moss.net/2010/02/yoga-effect.html</link>
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		<pubDate>Mon, 08 Feb 2010 12:07:55 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[こころの深淵]]></category>

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		<description><![CDATA[				最近「死」が頭にこびりついて離れないということがあって。ずっとそいつと対面してると辛くなるし、かといって考えないようにしようと思っても、そう思えば思うほどそいつのことが気になってしかたなくなって考え込んでしまうと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>最近「死」が頭にこびりついて離れないということがあって。ずっとそいつと対面してると辛くなるし、かといって考えないようにしようと思っても、そう思えば思うほどそいつのことが気になってしかたなくなって考え込んでしまうというどうしようもない状態に陥った。立春も過ぎたからそろそろそういう時期が近いということなのだろう（参考：<a href="http://spherical-moss.net/2008/03/spring-make-mad.html">春は頭がおかしくなる季節です &#8211; Spherical-moss.net</a>）</p>
				<p>で、ヨガである。</p>
				<p><span id="more-82"></span></p>
				<p>本格的に先生についてやったわけじゃないので、細かい理屈とかは全然知らないんだけど、ヨガのポーズは考えの暴走を止める。ポーズが複雑で、キープするのが難しければ難しいほどいい。そのポーズをキープするために体の様々な部分、時には指先一本一本にまで集中せねばならない。腹式呼吸をキープしながら、心拍をゆっくり数える。</p>
				<p>家で一人で行うような初心者向けの本であっても、掲載されているポーズを長時間キープしようとするとかなりの集中力が必要になる。集中しすぎて力が入りすぎるとやっぱりポーズが崩れるから、ある程度は弛緩しながら集中するような、そんな状態を作り上げる。たったあれだけの動作の中で、やることはすごく多い。</p>
				<p>そのうち静かになって、頭の中のざわざわが消える。とりあえず、思考の暴走で頭がいっぱいで辛いという状態からは抜けられる。逆に自分の外側に満ちている音、車の音とか誰かの生活音なんかはすごくクリアに入ってくる。その状態でしばらくいる。</p>
				<p>要は、身体の方に集中を向けるから、相対的に考えの方があまり気にならなくなるという、それだけのことなのだけど、この方法を覚えてからずいぶんと楽になった。</p>
				<p>同じことを静的にやろうとすると、瞑想とか座禅とか自律訓練法とかにいくのだと思う。ただし、静止に集中するのは、頭の中がうるさいときは難しい。一方で、動作に集中するのは比較的楽だ。慣れない動作を能動的に行うときは、頭の中でも「手をこうして足をこうして…」とある程度言語にするから、うるさくなってる思考と拮抗するように思う。</p>
				<p>身体に集中するための動作は必ずしもヨガである必要はなく、私は大学時代に合気道を少しやっていたけど、稽古の前に必ず行う「禊ぎ」の一連の動きでも同じ状態には持っていけると思う。今になって思えば、「禊ぎ」の後の意識の状態によって、その後の稽古にすごく影響が出ていた。</p>
				<h3>「忘れる」</h3>
				<p>思考が暴走して自分では止められなくなるという状態を、夫の人は「よく分からない」と言う。「論理的に考えれば、30歳で特に身体に重大な病気を抱えていない人が、一瞬後とか、明日の朝にもう目を開けないなんていうことは、可能性としては低いはず」と言う。</p>
				<p>論理的に考えれば夫の人の言うことが正しいと分かっているんだけど、それでも思考が暴走して止まらなくなるから困っているのである。論理的思考の部分は納得しても、感情の部分が納得しないと表現すればよいのだろうか。全部論理的に考えて片づけば、無駄に不安に襲われることもないだろうし、疑心暗鬼になったりもしないだろう。</p>
				<p>夫の人曰く「嫌なことがあったら、ストレス解消と称してゲームやったりテレビ見たりしてるうちに忘れてる」「ずっと考えてると疲れてしまってそれ以上考えられなくなる」らしい。たとえばすごく腹の立つことがあって怒っていたとしても、怒ってるのに疲れてしまって、怒るのを放棄して、一晩眠ったら怒っていたこと自体、けろっと忘れているらしい。</p>
				<p>夫の人は私のことを「変や。絶対に変」などと言うが、私から見れば夫の人の方がよっぽど変である。奇人変人大賞を謹呈したいくらいである。と言いつつも、正直、私は夫の人が羨ましい。</p>
				<p>私の場合はストレス解消と称してゲームやったりテレビを見たりしても、せいぜい「止まらない思考5割＋テレビやゲーム5割」くらいまでしか持っていけない。暴走した思考はバックグラウンドでずっと蠢いてる。で、ストレス解消を止めた瞬間にぶわっと膨れあがって襲いかかってくることもある。</p>
				<p>ヨガはゲームやテレビよりは効果があるにしても、思考の暴走が辛くて仕方がないというところから脱却できるだけで、その思考が消滅することはない。思考の断片は残っていて、頭の片隅に影を落とす。</p>
				<p>「忘れる」という機能は人間にとって救いであると思う。</p>
				<p>ずっとこうやって誤魔化し誤魔化し生きていけば、そのうち慣れて怖くなくなるだろうか。それだけのことに望みを託している。</p>
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		</item>
		<item>
		<title>[夢] 夢の中で病院に行った</title>
		<link>http://spherical-moss.net/2010/02/dream-hospital.html</link>
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		<pubDate>Mon, 08 Feb 2010 11:50:20 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[夢見語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spherical-moss.net/wp/76 /internetarchive/</guid>
		<description><![CDATA[				夢の中で、いつも通り病院に行った。
				診察室には母が先回りしていた。母は私が先生に話す全部のことを「妄想」「思いこみ」で片づけようとした。私は「そうではない、本当はこうである」と先生に一生懸命説明した。先生 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>夢の中で、いつも通り病院に行った。</p>
				<p>診察室には母が先回りしていた。母は私が先生に話す全部のことを「妄想」「思いこみ」で片づけようとした。私は「そうではない、本当はこうである」と先生に一生懸命説明した。先生は半ばおどけたような表情でそれを聞いていた。先生は、母が話すのに満足して診察室から出て行ったあと「やれやれ」とため息をついた。</p>
				<p><span id="more-76"></span></p>
				<p>それから少し話して、いつもなら処方箋をもらう段になったが、処方箋じゃなく薬袋ががさっと出てきた。今日は処方箋じゃなくてこの場で処方するらしい。</p>
				<p>薬袋は少し透けていて、中にいつもの長細い錠剤と、丸い錠剤が入っていた。それに追加して見慣れないピンクの錠剤が入っていて違和感を覚えた。「これって抗精神病薬じゃなかったっけ？」と思って先生にその旨伝えたところ「あれ？処方こうじゃなかったっけ？」という。おいおい、その薬を数年前に飲むのやめさせたのあんただろ、と思いながら電子カルテで処方を調べなおしてもらう。</p>
				<p>調べたところその処方は私ではなく70歳くらいのおじいちゃんのものだったことが判明した。「はははー」と笑いながら薬袋を持って診察室の外に出て行く先生。うへーと思いながら戻ってくるのを待つ私。しばらくして先生が戻ってきて「はははー焦った焦った」とか言ってるので「焦ったのはこっちじゃあ」と内心いらっとする。</p>
				<p>薬の処方の話は何故かそこで立ち消えに（さすが夢だ！</p>
				<p>そのあとはだらだらと話をしていたような気がする。妄想について、対人関係について、頭の中のシステムについて、仕事について、等、とりとめもない話をした。</p>
				<p>病院を出るとそこはファミレスだった。ファミレスには友人（女性）がいて、今から男性が二人来るとか言う。友人は今から来る男性の片方のことが好きらしい。私はぶっちゃけそういうのどうでもよかったし、もう片方の男性の顔も性格も好きじゃない（むしろ苦手）ので、あんたらが話している間こっちはあれとサシかよ、最悪だあ、とか考えていた。ちなみにその男の名前は松本という。</p>
				<p>腹を立てながら家に帰り、病院での出来事をにちゃんねるに書き込んだら「スレ違い」「IP捕捉しました〜」等のレスがついていて、ちっ、と思う。病院であったことは後でブログに載せようと思ってたのにこれじゃ状況的に微妙じゃねえか、私が平気で流れを読まずにスレ違いをやらかす人みたいじゃねえか、もしくはにちゃんのログの日付の方が先になるからぱくったみたいじゃねえか、等と思う。そこで出来事にある程度フェイクを入れ、日付は一日戻して書くことにしたのだった。</p>
				<p>そして、書いている途中で量が膨大になってきたのでもういいかげんにしろと思ったところで目が覚めた。</p>
				<h3>最近の眠りについて</h3>
				<p>近頃よく眠っている気がする。よく眠っているというかだらだらと眠っている。眠っている時間は長いが比較的眠りは浅いと感じる。で、時間や場所をかまわず眠気が襲ってくる傾向にもあるので、集中してなにかやってるときに急にがくんと意識が落ちそうになってきつい。</p>
				<p>完全に意識が落ちるとこまでいかなくても、半分くらいは落ちていて、現実世界の方の情報が遮断されるし、当然行動できないし、という状態になる。そういうとき、頭の中は、うわあ、今落ちちゃダメなタイミングなのに落ちかかってる、どうしよう、とかなってる。しばらくそういう状態のままいたりする。はたから見たら眠っているようにしか見えないだろう。見えないだろうが思考はわりと能動的に働いていたりする。</p>
				<p>私に無断でスイッチオフにするなんて不届き千万である。責任者出てこい。</p>
]]></content:encoded>
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		</item>
		<item>
		<title>エチカの鏡「今時の出産」特集</title>
		<link>http://spherical-moss.net/2010/02/ethica-birth.html</link>
		<comments>http://spherical-moss.net/2010/02/ethica-birth.html#comments</comments>
		<pubDate>Sun, 07 Feb 2010 14:42:03 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[時事語り]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://spherical-moss.net/572/mac-mysql/</guid>
		<description><![CDATA[				テレビをつけたらエチカの鏡で「今時の出産」を特集していた。
				全体的に自然出産を肯定、いや讃美する勢いの番組だったので、もし私が「自然出産のリスク」を事前に知らなかったとしたら、やっぱり「素晴らしい！」と感 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>テレビをつけたらエチカの鏡で「今時の出産」を特集していた。</p>
				<p>全体的に自然出産を肯定、いや讃美する勢いの番組だったので、もし私が「自然出産のリスク」を事前に知らなかったとしたら、やっぱり「素晴らしい！」と感じていたに違いない。</p>
				<p>番組を見ながら同時に Twitter を「エチカ」で検索して眺めてたけど、放送中は「素晴らしい！」「すごい！」「産みたくなった」って書いてる人ばかりだった。リスクに触れる人はほとんどいなかった。</p>
				<p>番組の内容は、こんな感じ↓</p>
				<ul>
				<li>バースコーディネーターなる人が「ナチュラルバース」「自然出産」の良さを語る</li>
				<li>自然出産のカリスマ「吉村医院」でのお産に密着
				<ul>
				<li>お産合宿：まきわり等</li>
				<li>母親講座：先生と妊婦が車座になってその時の思いを語り合う</li>
				<li>「もう予定日1週間過ぎてる」と笑う妊婦さん</li>
				<li>愛知県の吉村医院に横浜からわざわざ来ている人がいた…</li>
				<li>吉村医院でお産をした人のお産の瞬間のビデオを番組内で放映。「長男がへその緒を切った」らしい。</li>
				</ul>
				</li>
				<li>フランス式ソフロロジー出産：無痛分娩ではなく痛みを産む喜びに変えるとかなんとか。</li>
				<li>世界のお産
				<ul>
				<li>イルカと一緒に水中出産（メキシコ）</li>
				<li>先住民族のお産（ブラジル）：全身にペインティングを施し、産むときは村の女性が赤ちゃんを取り上げる</li>
				<li>セレブ出産（日本）：超ゴージャスな病院での出産</li>
				</ul>
				</li>
				<li>胎教：胎内の赤ちゃんに話しかけてコミュニケーションを取ったり等</li>
				</ul>
				<p>ゲストの芸能人の男性が、「2人目の子供の時には妻に水中出産をさせており、その時長男も立ち会っていた」とかいう話をしていた。</p>
				<p><ins><strong>追記：</strong>詳細な記載のあるブログを見つけたのでリンクします。<br />
				→ <a href="http://topicsnow.blog72.fc2.com/blog-entry-228.html">エチカの鏡【妊婦自然分娩自宅出産吉村医院】詳細情報</a></ins></p>
				<p><span id="more-572"></span></p>
				<p>「産科たらいまわし」「産科崩壊」とかいって病院でのお産を守るべきだと報道する一方で、「自然って素晴らしい」などと礼賛してるんだから、テレビ局の二枚舌っぷりは素晴らしいと思う（皮肉</p>
				<p>自然出産を讃美するってことは、裏を返せば病院で管理される不自然な出産はよろしくないとでも言いたいのでしょうか。そういう風潮を作っちゃうと、切迫早産、多胎妊娠、妊娠中毒症なんかで管理入院せざるをえなかったり、帝王切開を選んだりした人を、無邪気に笑いながら傷つけるみたいなことにもなりかねないと思う。</p>
				<p>私はまだ産んでなくて三十路だし、私の周囲にも結婚が三十路過ぎで、産むのはそれより後になる人が相当数いる。大学出て就職して一生働きたいタイプの女性には、妊娠出産が三十過ぎ、四十手前になる人がそれなりにいる。みんな知っているとおり、妊娠出産のリスクは三十歳超えた頃から徐々に上昇するという。だから早期から病院にかかって現在の標準的な方法で管理してもらう方がいいのに、テレビに影響されて自然出産主義になっちゃったらどうするんだろ。</p>
				<p>妊婦が自然出産を選んで問題が起こったら、それは選んだ本人の責任とか言うのかもしれないけどさ、選択はメリットとデメリットを正確に把握した上でなされるべきであって、メリットしか提示せずに判断させて、問題が起こったら選んだ人の責任ですとか、ありえない。</p>
				<p>病院の管理下における出産に比べて、自然出産のリスクが高いということはすでに指摘されているというのに、なんでリスクの方にはまったく触れずに「素晴らしい！」という方向に持っていくのかなあ。</p>
				<p>「自然出産で産みたい」と思った人、自然出産の危険についての情報も見て、一度考えた方がよいと思うのよ…(´･ω･`)</p>
				<ul>
				<li><a href="http://d.hatena.ne.jp/NATROM/20070707#p1">NATROMの日記 : 信仰と狂気〜吉村医院での幸せなお産</a></li>
				<li><a href="http://jyosanin.blog78.fc2.com/">助産院は安全？</a></li>
				</ul>
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		<title>ブログ墓標計画その後「死について」</title>
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		<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 10:13:27 +0000</pubDate>
		<dc:creator>TsumuRi</dc:creator>
				<category><![CDATA[こころの深淵]]></category>
		<category><![CDATA[ブログ]]></category>

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		<description><![CDATA[				以前、ちらりと書いたブログ墓標計画のその後である。ここまでログに執着する理由は以前書いたので、そちらを参照されたし。
				ある程度カスタマイズしたWordPressの使い勝手がよすぎるので、無料ブログを使うと [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[				<p>以前、ちらりと書いた<a href="http://spherical-moss.net/2009/12/blog-as-grave.html">ブログ墓標計画</a>のその後である。ここまでログに執着する理由は以前書いたので、そちらを参照されたし。</p>
				<p>ある程度カスタマイズした<a href="http://ja.wordpress.org/">WordPress</a>の使い勝手がよすぎるので、無料ブログを使うと、微妙〜にかゆいところに手が届かない。</p>
				<p><span id="more-589"></span></p>
				<p>まあしかし、この程度↓には今のと同じようなのが作れた。</p>
				<p><a href="http://spherical-moss.net/wp/wp-content/uploads/2010/02/100204-mirror.jpg" rel="lightbox"><img src="http://spherical-moss.net/wp/wp-content/uploads/2010/02/_100204-mirror.jpg" width="400" height="279" alt="ミラーサイト" title="ミラーサイト" class="imgF" /></a></p>
				<p>墓標を作ってるところは、画像を見て分かるように、<a href="http://www.blogger.com/">Google Blogger</a>。選んだ理由は (1) URLが今のURLの形式と同じ (2) 独自ドメインが使える、の2点。</p>
				<p>そのうち、今のところの予定だと次のレンタルサーバーの契約更新の時あたりに、《http://spherical-moss.net/》の記事にアクセスしたらBloggerに移した同じ記事に飛ぶようにする予定。これは一応ブログ内の記事に直接リンクしてくれてる人とかへの対策のつもり。最近、URLが変わることに対して罪の意識が芽生えてきた。</p>
				<p>で、今手作業でごちゃごちゃやってる。画像を大量に貼りつけた記事の、画像のURLを書き換えるのがいちばんめんどくさいかも。</p>
				<p>作業自体はけっこうめんどくさいんだけど、何年か前の自分が書いたものを見ると、今の自分と連続しているとは思えなくてちょっと楽しい。Boy meets girl ならぬ、I meet the other me、みたいな。あんた誰？その時なに考えてた？っていう感じ。で、ついうっかり読んでしまって作業が進まない。我ながら頭悪いｗ</p>
				<p>そんな感じで楽しく作業してる。</p>
				<p>それにしてもなんでこんなに一生懸命、しかも微妙に急いで墓標を作ってるんだよ、って考えると、本当にバカみたいなんだけど、動機の部分は<a href="http://spherical-moss.net/2009/12/blog-as-grave.html">以前も書いてる</a>けど、実際作業をしている間に、何年か前に書いた文章を読んでいちばん強く感じたのは、この瞬間に生きてる私は、私が生きている未来の別の瞬間には多分存在してないなってこと。それって死ぬこととどう違うんだろうって考える。</p>
				<p>私はまだ死んだことがないからちゃんとわからないけど、過去のある瞬間の私の意識を今の私が知ることができないというのは、もう死んでしまった誰かの意識を私が知ることができないということと、あまり変わらない気がする。前に、眠るのが怖いと書いたことがあるけど、眠るたびに私は前の日の私の意識を知ることができなくなるし、もしかしたら瞬きをした瞬間、私は、瞬きの前の私の意識を知ることができなくなってるのかもしれない。</p>
				<p>こういう感覚は別にしても今死んで大丈夫かなあって考えると、今死んだら大丈夫じゃないなあと思う。片づけなきゃいけないことがたくさんあるしね。最近、後ろ向きスイッチでも入ってしまったのか、明日には生きていないかもしれないって、常に考えている気がする。</p>
				<p>別に積極的に死にたいわけではない。生きたくないわけでもない。生きる理由の方が多いと思うし、自分がどっちを見ているかって言えば、生きたいと考えてる。その一方で、死の気配みたいなのがずっとずっと一緒にいる気がしてしかたがない。合わせ鏡というか、背中合わせみたいに、生にはぴったり死がくっついている、そんな雰囲気。ふっと気を抜くと入り込んできそうなそういう気配を醸し出している。</p>
				<p>死に、魅入られてるのかなあ、とか、考えてもどうしようもないことを考えてみたりとか。まあ、今に始まったことじゃないだろうけど。小学生か保育所の頃か、その頃にはもう、死の気配みたいなのがどっか近くにいた気がするし。はっきりとは分からないけど。感覚的には「空」もしくは「無」、そういう感じのものが、ときどきいた。</p>
				<p>逆に考えれば、生きたいという願いが強すぎるのかもしれない。でも生の先には必ず死があるから、生きようとすればするほど死に近づくという矛盾。だからきっと苦しいし、怖いのだと思う。</p>
				<p>精神的にもっともっと不安定で荒れてた頃って、今ほどには死ぬことを怖がってなかったんじゃないだろうか。その頃のことってけっこう記憶が抜けてたりして、あんまりはっきりとは覚えてないし、ぶっちゃけあんた誰？的な状態なんだけど、死ぬことに対して、もしくは眠ることに対して、ここまで真面目に怖さを感じてなかったんじゃないかと思う。</p>
				<p>師匠に言わせれば、当時の私は「人間らしくなかった」らしいけど、ふっと入り込んでくる死の気配みたいなものにいちいちびくっとするくらいなら、人間らしくない方がなんぼかましじゃない？</p>
				<p>ああとりとめないなあ。おしまい。</p>
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